映画『翔んで埼玉』が絶好調だ。このところ、漫画原作の映画化というだけで敬遠されることもあるなか、人気を集めている。漫画の実写映画化が珍しくなくなり、今では逆に「また漫画実写」とうんざりされることも少なくないなか、なぜ『翔んで埼玉』は好意的に受け止められ、成功を収めているのか。一方で、制作陣の熱意が空回ると話の焦点も俳優の魅力も消えた客が迷子になる映画が完成することがあり、漫画実写化はその迷子を発生させやすい。そんな「迷子の映画」探しをライフワークにするライターの北原利亜氏が、映画『翔んで埼玉』の成功について考えた。
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漫画原作の映画化には、どうしても逃れられない宿命がある。当たり前のことだが、漫画と映画は、どうやってもまったく同じビジュアルにはならないからだ。だから漫画を実写化するときは、その違いをなるべく目立たせないように原作原理主義でゆくか、骨格だけ残して作り替えるかの決断を迫られる。映画『翔んで埼玉』は、原理主義と作り替えをうまく組み合わせて成功している。
人気のヒット作品であるほど、作り替えに対しては強い違和感を観る者に与えてしまう。ところが、その点でいえば『翔んで埼玉』は幸運だった。原作が未完だからだ。
1982年~1983年に描かれたこの漫画は未完のまま1986年に単行本収録され、SNSで話題になったことをきっかけに2015年に復刊したときも完結しなかった。そのため、物語を語り終えることに対する歓迎ムードが強いなか、実写映画が公開された。一応の完結作品を目指す実写化では、原作で語られていない部分を追加した物語となっている。
とはいえ、原作に無い部分を追加した映画に対しては、強い拒否反応が起こることもある。それは、元の世界観やキャラクターが、原作の世界観から逸脱したときに限って起きる。ところが『翔んで埼玉』の場合は、美術や衣装、キャスティングや演技などを細かく積み重ねることであり得ないはずの世界の構築に成功したため、受け入れやすくなっている。
原作漫画によれば、主要な登場人物はいずれも目鼻立ちがはっきりとした造形の顔だ。そして、美少年が登場するコマには大量のバラの花が背景に描かれ、墨塗りが多く、全体的にダークでデコラティブな装飾が多い。それにのっとって、主人公の二人、壇ノ浦百美(二階堂ふみ)と麻実麗(GACKT)だけでなく、衣装はどれも細部まで装飾が施されメイクもメリハリ強め、凝ったディテールが積み重ねられている。さらに、主人公二人が出会う白鵬堂学院は宮殿のようで至る所に本物のバラの花が飾られ、百美の自室ベッドは天蓋つきだ。