【書評】『木下直之を全ぶ集めた』/木下直之・著/晶文社/2000円+税
【評者】池内紀(ドイツ文学者・エッセイスト)
ヘンなタイトルなのは、木下直之展と連動していたからだ。この美術史家は三十年にわたり、奇妙なコレクションに熱中してきた。駅前などによくある「愛」「平和」といった銅像、戦後、日本各地にコンクリートで造られた安っぽい城、日清・日露の戦勝記念碑、青年を刻んだ彫像の股間のデザイン……。
苦労して探し出すまでもない。当の素材は天下にころがっている。そこにあっても誰も見ない、見ても何も思わない。美術史ではふつう、こういうシロモノを「キッチュ(まがいもの)」と呼んで相手にしない。木下直之はまともに相手をした、日本で最初の(そしておそらく最後の)学者である。そこに意味深い時代相がくっきりと見えるからだ。日本人の人間性が露わにあらわれているからだ。
「誰ともわからぬ裸の女性像や男性像が登場した時点で、銅像時代は終わったといえるかもしれない。戦後一世を風靡したヌード彫刻の時代が去ると、今度は抽象彫刻が台頭した」
往来が楽しい見世物になる。歩くとすぐにわかるが、奇想天外、目を丸くするようなものが、すぐ目の前にある。木下直之の書名にあるとおり、「近くても遠い場所」なのだ。人は見慣れたものを見て、それ以外は見ようとしない。「世の途中から隠されているもの」であって、先入見で目隠しされている。新しく見るためには視角に揺さぶりをかけないと、感覚が目をさまさない。