一時期、幸福度調査の結果が話題になったことがある。日本の順位があまり高くなかった一方で、順位が高い北欧やブータンの暮らしぶりに注目が集まったこともある。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、「幸福」について考えた。
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あなたは幸福ですか? そう問われて、「不幸です」と答える人はむしろ幸福だと思う。自分の不幸を認識できた人は、その不幸をバネにして生きていくことができる。不幸は、文学や絵画、音楽などの創造性の源泉にもなり得る。だから、不幸は幸福の種なのだ。
問題は、不幸ではないが、幸福でもないという状態だろう。不幸ではないからと言って、幸福とは限らない。幸福というのは、なかなか捉えどころがない。
ぼくは、いろいろな「幸福論」を時々読み返してきた。それで幸福になったという実感はないが、幸福とは何かということが何となくわかってきたように思う。
ぼくが好きな幸福論は、アルトゥル・ショーペンハウアーの『幸福について─人生論─』(橋本文夫訳、新潮文庫)。
「人は幸福になるために生きている」という考えは、人間生来の迷妄である、と断言する。厭世哲学者の幸福論は、苦みも心地よい。こういうの大好き。
だが、読んでいくと、我々を幸福にしてくれるのは心の「朗らかさ」である、という記述に出合う。「朗らかさ」が幸福になるためのキーワードだなんて、なんだかペシミストらしくない。