1985年から1998年にかけて『ニュースステーション』(テレビ朝日)を久米宏氏とともに支えた小宮悦子さんは、その後の報道番組における「女性キャスター像」を作り上げたパイオニアである。小宮さんが、久米氏から教えられたことを語った。(聞き手/岸川真=作家)
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スペースシャトル・チャレンジャーの事故、チェルノブイリ、湾岸戦争にバブル崩壊と、1980年代後半から1990年代初頭にかけては時代が揺れ動きました。
視聴者のニーズに番組がマッチしたのでしょう。いつしか最高視聴率が20%を超えるほどの番組に成長しました。
そんな世界でも、番組の姿勢はブレなかった。「知ったかぶりは絶対しない」と、徹底的なまでに視聴者目線を求めていました。
いくら働き盛りの30代前半とはいえ、1週間ぶっ通しでこうした生放送に臨む日々はハードそのものでした。ご飯を食べる暇もない24時間営業態勢です。朝イチでロケに行き、夕方に局へ帰るとナレーション録り。本番前には久米さんを交えた打ち合わせ。放送後は反省会でプロデューサーから厳しいダメ出し……。
ヘトヘトになりながらも、久米さんからは「24時間この番組のことだけを考えてくれ」と何度も言われました。
久米さんは番組の細部やセットまで考えを巡らせて、その日の衣装に合わせてボールペンまで変えていましたからね。