一般的に広く報じられることはないが、森深い皇居の奥では、神聖かつ神秘的な祭祀が昔と変わらぬまま連綿と続いている。祭祀を通じて神々への感謝と国家国民の安寧を願う天皇陛下の祈りは深い。こういった祭祀にはどういった意味があるのか。神道学者の高森明勅氏が解説する。
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かつて作家の三島由紀夫は、世界中の大統領や国王などとわが国の天皇との違いを次のように述べている。「大統領とは世襲の一点においてことなり、世俗的君主とは祭祀の一点においてことなる」と。天皇という存在にとって、「祭祀」がいかに重要であるかを見事に洞察した発言だ。
順徳天皇の著作『禁秘抄』に「宮中の作法は神祭りを優先し、ついで他に及ぶ」とあるように、皇室は代々、祭祀を重んじてこられた。今の天皇陛下も即位直後に「昭和天皇も宮中祭祀を大切に考えていらっしゃいました。その気持ちを受け継いでいきたいと思っております」と明言しておられる。
平成26年4月11日に、今も皇室祭祀の規範となっている「旧皇室祭祀令」には無い祭祀(昭憲皇太后百年式年祭)を陛下の思し召しで、ご高齢のお身体を押して厳かに執り行われた事実からも、そのご姿勢は明らかだ。
祭祀は人間が“聖なる次元”に反復的につながるための、ほとんど唯一の営みだ。天皇はつねに心身を清め無私の境地でその祭祀に携わることで、「国民統合の象徴」に求められる超越性をより揺るぎないものにされる。被災地の人々をはじめ陛下に接した誰もが感じる独特の“癒し”や“励まし”のオーラも、そうしたご日常に裏打ちされてこそ自然に身にまとうことができるのだ。
※SAPIO2019年4月号