昨年のU-18高校日本代表に2年生ながら選ばれた右腕・奥川恭伸を擁する星稜(石川)といえば、松井秀喜(元巨人ほか)の勇姿と共に、黄色地のユニフォームが思い浮かぶ。
「スクールカラーをユニフォームの色にして欲しいという初代校長の発案でした。私がこだわったのは、帽子の『星』の文字の中に入った☆マーク。日本一輝くチームになる、という願いを込めた“一番星”です」
そう語るのは、松井が在籍していた当時の監督で、甲子園通算22勝の山下智茂(現・名誉監督)だ。星稜が甲子園に刻んだ名勝負といえば、1979年夏の箕島(和歌山)戦。延長18回を戦い、最後はサヨナラ負けを喫したが、星稜イエローは甲子園の黒土と緑の芝に見事にマッチしていた。
「ナイターでしたから、黄色が映えましたよね。でも、私らからしたら、箕島のユニフォームこそ、印象的です。強いチームはどうしてもかっこよく見える。PL(大阪)しかり、横浜(神奈川)しかり、現在の大阪桐蔭しかり」
時代の変遷と共に、黄色が濃くなっている印象も受ける。
「昔は洗濯すると色あせてしまっていた。それならと、最初から少し濃くした(笑)。しかし、デザインは変わりません。伝統は変えるものではなく、先輩の汗と涙と共に受け継いでいくものでしょう」
(文中敬称略)
◆取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2019年4月5日号