昭和天皇の初孫で、今上天皇の甥にあたる元皇族の東久邇(ひがしくに)信彦氏が、3月20日に74歳でこの世を去った。終戦の半年前、東京大空襲の最中に防空壕で産声を上げた東久邇氏は、2歳の頃に皇籍を離脱したため、一生のほとんどを民間人として過ごした。親交のあった知人が話す。
「幼少期からとても大切に育てられ、食あたりを起こしてはならない、と生魚が食卓に上ることがなかったといいます。そのため、大人になってからも刺身は食べられず、お寿司をご一緒したときには、玉子や穴子ばかり口にしていました」
もともとがんを患ったりと持病はあったものの、周囲には予期せぬ急逝だった。
「少し前に、趣味のゴルフへ向かうためバッグを車に積み込む際、トランクに頭をぶつけたそうです。その傷に菌が入って化膿し、体調を崩した。亡くなる2週間ほど前に、天皇皇后両陛下がお忍びでお見舞いに来られたそうです」(同前)
両陛下とは、皇族と民間人という立場の違いはあれど、長く交流を続けていた。