徴用工、慰安婦、竹島……日本と韓国の両政府間で、「完全かつ最終的に」(1965年日韓請求権協定)、「最終的かつ不可逆的に」(2015年日韓慰安婦合意)解決したはずの約束や合意が守られない現実を前に、多くの日本人は困惑している。ソウル在住のジャーナリスト・藤原修平氏は、その背景に「同じ言葉を使っていても、日韓で意味が違うという実情がある」と指摘する。
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韓国政府には話が通じない──特に昨年10月30日に新日本製鉄(現・新日鉄住金)に対して下された韓国大法院による元徴用工への賠償命令判決以降、そうした傾向が顕著になった。年が明けて3か月が過ぎようとする今も、日韓関係は「国交正常化以来、最悪」と言われるレベルのままだ。
判決自体への抗議はもちろん、原告側が進めている日本企業に対する差し押さえ手続きも含め、日本政府は何度も抗議している。それにもかかわらず、韓国政府は自ら対策を取る気配を見せない。日本側としては、暖簾に腕押しも甚だしい。
日韓のあいだの意思疎通がうまくいっていないということは、これまでも語られてきた。たとえば、韓国通として知られる女優の黒田福美氏は雑誌のインタビューに答え、「韓国には日本の怒りが伝わっていない」と指摘している。日本政府は韓国に抗議するときによく「遺憾」を口にするが、韓国語の「遺憾(ユガム)」は日本語よりはるかに軽いニュアンスで、韓国人は日本人の怒りの程度を理解できないという。
だが、長年ソウルに暮らす私からすれば、日韓の間にはもっと深刻な「意味の違う共通語」がある。「パートナー」あるいは「共同」といった言葉だ。