映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、女優・渡辺美佐子が、一人芝居『化粧』をアメリカで公演したときの思い出について語った言葉をお届けする。
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一九八二年に始まった一人芝居『化粧』は、その後二十八年にわたって上演された、渡辺美佐子のライフワークともいえる芝居だ。欧米にアジアにと、世界各国を回って公演した。
「アメリカでは四十五日間やりました。夫と同郷だった京セラの稲盛和夫社長がポケットマネーで一五〇〇万円出してくださって。私は演出の木村光一さんに『アメリカでは芝居を観たことないようなお爺さん、お婆さんがいるような小さな町でやってみない?』と提案したら木村さんも賛成してくださって、カナダに近い小さな町の大学の講堂でやりました。
ただ、その頃は日米の経済摩擦が激しくて、日本の車やテレビがアメリカで壊されていたんですよね。それで止める方もいたのですが『芝居は別でしょう』ということで行きました。
アメリカの方にも喜んでもらえましたよ。離婚が多いので、子供さんが置き去りにされたり、新しい家族に馴染めなかったりして、養子縁組したり、ということがかなりあるみたいで。芝居に共感してくれたんです。
ある日、芝居が終わった時、金髪の青年がどうしても会いたいとやってきまして。『僕は小さい時から養子で育てられて本当の母親を知らない。母親って、こんなに素晴らしいものなんですか』と言って私の手を離さないんです。養子の子供がいるお爺さんが『実の母親に会わせてあげた方がいいだろうか』と身の上相談をしてきたこともありましたし、子供と別れた中年女性の方にいきなりギューっと抱きしめられたこともあります。
演劇って、『面白かった』『楽しかった』『上手かった』とかもありますが、自分自身それぞれの中に眠っていたそういう感情を揺り動かせる仕事なんだと、アメリカで学びましたね」
デビューから六十五年が経つ今も、渡辺は舞台や映画の第一線で活躍し続けている。