滝沢秀明が昨年まで13年間、主演を務めた舞台『滝沢歌舞伎』。今年はSnow Manがその座を引き継いでいる。昨年引退し、プロデュース業に専念している滝沢は舞台の演出を手掛けた。滝沢はどんな思いを込めたのか? 舞台を取材したコラムニストで時代劇研究家のペリー荻野さんが読み解く。
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新橋演舞場で上演中の『滝沢歌舞伎ZERO』(企画・構成・総合演出ジャニー喜多川)。この舞台を観て個人的に感じたのは、演出の滝沢秀明のメッセージだった。
とにかく序盤は観てびっくり。ジャニーズJr.のSnow Manの9人が中心の舞台だが、歌やダンスはもちろん、舞台に降り注ぐ桜吹雪の花びらが300万枚。足首が埋まるほどの桜って。さらに時速15kmで回転する「メカ太鼓」とともに、彼らが腹筋を駆使して体を起こしながら打ちまくる恒例の「腹筋太鼓」。観てるこっちの腹筋も緊張するような音色が鳴り響くのである。おーっ。
驚くべき場面連発だが、そんな中、私が注目したのは、二幕の芝居「満月に散る鼠小僧~望んでいたのは『笑いあり、涙なし』」である。
江戸庶民の人気者、鼠小僧が散ったことで、彼を追っていたはずの岡っ引き(岩本照)や同心(宮舘涼太)たちまでもが気力を失い、江戸に悪がはびこる。クライマックスでは、滝の中での悪との大立ち回りがあり、大量の水が上から下から大噴射。この場面で使われる水(メンバーの佐久間大介によると、これは雪解け水)は実に9トン。Snow Man、ひとりあたり1トンってことですね…。
ここで重要なのは、鼠小僧が「散った」ことである。冒頭、出てきた散った鼠の姿を見れば、それは滝沢がNHKの時代劇シリーズ『鼠、江戸を疾る』で演じた鼠小僧を思い出させた。滝沢鼠小僧は、従来のほっかむりの泥棒ではなく、覆面から涼しい目がのぞくという義賊スタイル。独特の美学があった。2005年に大河ドラマ『義経』でもタッグを組んだ演出家・黛りんたろうらとともに作りあげたこだわりのスタイルであったはずだ。
パート1の放送後、ファンから「続編を」との声がたくさん届き、パート2が製作された人気作である。滝沢は、今回、舞台上で鼠小僧を「散らせる」ことで自らの持ち役を完結させ、次世代へとつなげようとしていたのだと思う。
そして、もうひとつ大事なのは、この舞台をジャニーズJr.ファン世代が見に来ているということ。現在の10代、20代はテレビの地上波で時代劇を見たことがほとんどない人も多い。私も「捕物帳」「忠臣蔵」などと言われてもピンとこない世代と話して、カックンとなることが増えてしまった。
今回の舞台では、鼠を追う「岡っ引き」「同心」などが出てくる。人々は「茶屋」で噂話をし、「瓦版」で「辻斬り」「押し込み」など町の情報を得る。60分ほどの二幕は、時代劇を見たことのない世代(そもそも鼠小僧が義賊と言われることもここで初めて知るのかも?)にこうした時代劇要素を伝える作品でもあった。
滝沢は、『義経』主演の翌年の2006年、新橋演舞場史上最年少座長として『滝沢演舞場』の舞台に立った。2016年の公演では「鼠小僧」の脚本も担当している。今後も「和」をテーマにした作品を作り続ける。時代劇ってこういうもんだよ! 後輩たちをどんどんマゲもので暴れさせるよ! 和物ファン、時代劇ファンとしては、『ZERO』は、滝沢の宣言だと受け止めたい。