映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづった週刊ポスト連載『役者は言葉でできている』。今回は、俳優・伊東四朗が俳優としてスタートを切ったきっかけ、喜劇俳優の石井均一座で役者を始めた日々について語った言葉をお届けする。
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伊東四朗は一九五八年、喜劇俳優の石井均が率いる一座に加入、役者としてスタートを切る。
「役者になる気は全くなかった人なんです。とにかくサラリーマンになることだけを考えて就職試験を受けたら、一社も採ってくれなくて、早稲田の大学生だった兄貴に生協のバイトを斡旋してもらいました。時給三十円で牛乳の蓋をとる仕事でした。
その頃、新宿のフランス座というヌード劇場にしょっちゅう行ってまして、いつも同じ席にいたから舞台上からでも目立ったんでしょうね。階段を降りて帰ろうとしたら、上の楽屋の窓がちょうど開いて、石井均さんと目が合った。当時はストリップの合間をコメディアンが繋いでいて、石井さんもそこにいたんですね。それで『おい、寄っていけ』と言われました。
この数秒間がなかったら、今ここにいません」
石井の招きで楽屋に入り浸るようになった伊東は言われるままに一座に参加、初舞台を踏むことになった。
「『お前、公衆便所が舞台の真ん中にあるから、そこからジッパーを上げながら出てきて口笛吹いてどっかいけ。それだけのことだよ』と言われて。それが私の初舞台。よほどの俳優さんでも舞台で歩くのは大変らしいんですが、こちらは牛乳やりながらで気楽なもんなんでね、そうでもなかったですよ。
ただ、いい気分だったんです。それで『この仕事、やってみるか』と石井さんに言われた時、『時給三十円で蓋を開けるだけの人生もどうかな』と思っていて。ところが、その時に生協から正社員にならないかと言われたんです。保険も有給休暇もある。でも揺らめいたんです、なんかジッパー上げてトイレから出る方が。それでなんとなく気持ちがそっちに動いちゃって」