サッカー日本代表への課題として長年、言われることのひとつに「決定力不足」がある。勝利するための攻撃や、ここぞ!という場面で得点する力が足りないことを指しているのだが、それは、フォワードにふさわしい選手が不足していることを同時に表してもいる。1968年メキシコ五輪で日本人初の得点王となった、“日本史上最高のストライカー”、とも称され、元日本サッカー協会副会長の釜本邦茂氏が認める「日本初のフォワード」は、52歳の今も現役を続ける三浦知良だ。以下、釜本氏が語る。
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カズがヴィッセル神戸時代にこんな話をしたことがあります。練習中、カズが先頭でランニングしているので、「なんでベテランのお前が先頭を走らなアカンねん」と聞くと、「僕が後ろで走っていては、前を走るやつがいませんから」と返してきた。常に若い選手の手本に──なかなかできることではありません。
この言葉通り、カズはこれまで長きにわたって日本のサッカー界をリードしてきました。15歳で単身ブラジルに渡り、プロの門をくぐって個人技を習得。当時、日本人で個人技を持った唯一のプレーヤーだったと思います。私が初めてカズをじっくり見たのは、1993年にJリーグが発足し、私がガンバ大阪の監督としてヴェルディ川崎と対戦する時。器用な選手が出てきたなと思いましたね。それでいて決定力もあるから厄介でした。
当時、日本にはテクニックを持ったフォワードはいませんでした。僕らの時代なんて典型的で、前線で待っていると味方からパスが通って、そのままゴールにシュートを放っていただけで、細かいテクニックなんてなかった。カズは背中でパスを受けられる、それまでの日本にはいないフォワードでした。
オールラウンドプレーヤーという表現の方が近いかな。ボールを受ける時に体を入れて相手を抑えて、自分でボールを持って上がっていき、シュートまで放てる。特別スピードがあるというわけではないが、放っておいたらやられるということで、徹底的にマークさせました。得点すると披露するカズダンスも含めて、古い人間からしたら異様でしたね(笑い)。
日本をW杯に連れていってくれるかな、という期待を持たせてくれる選手でした。実際、1994年の米国W杯に向けた予選では、1次予選では9ゴール、最終予選では4ゴールとエースとして活躍をみせ、最終予選最終戦のイラク戦でロスタイムに同点にされた「ドーハの悲劇」がなければ本戦に出られたわけだから。