「怪童」の異名で1950年代の西鉄ライオンズの主軸として活躍した中西太氏(86)。「内野手の頭上をかすめたライナーがスタンドまで届いた」といった強打の伝説を持つ中西氏は、史上最年少の20歳でのトリプルスリー達成者でもある。その目に、ヤクルト・山田哲人(26)とソフトバンク・柳田悠岐(30)の“2人のトリプルスリー”はどう映っているのか。
* * *
2015年に山田君と柳田君が同時にトリプルスリーを達成した時は、球場まで出かけて直接「おめでとう」と声をかけました。我々の時代と今では、球場や用具、スコアラーのデータなど環境はまったく違うので比較すべきものではないが、難しい記録であることは変わりません。
ボクがトリプルスリーを達成したのは入団2年目の1953年、20歳のシーズンでした。ただ翌年以降は、三原脩監督から「中心選手になったんだから、スライディングでケガをされては困る。盗塁はやめておけ」と言われましてね。それからは盗塁ではなく、打点を狙うようになりました。
でも、本当は足に自信があったんですよ。プロ初本塁打はランニングホームランでしたし、直感でセカンド、サード、ホームとどんどん先の塁を狙っていましたからね。
柳田君は故障が気になる。体も大きく、盗塁のクロスプレーが大ケガにつながりかねません。“三冠王狙い”に絞ってもいいと思います。
一方、山田君は足が速いうえにスライディングもうまい。ケガにも強いタイプでしょう。彼に、ボクと同じように「走るな」とは言えません。4度目、5度目のトリプルスリーに挑戦してほしいです。
※週刊ポスト2019年5月3・10日号