長谷川博己(42才)の父親で、建築史家の長谷川堯(たかし)さん(享年81)が、がんで亡くなり、4月21日、全国紙に訃報記事が掲載された。
「彼は親しい人にも、明かしていなかった。2011年4月放送の『鈴木先生』(テレビ東京系)で主演した頃かな。ようやく語り始めたんです。父親の職業のことを」(芸能関係者)
堯さんは武蔵野美術大学名誉教授でもあり、著作も多く、数々の賞を受賞。だが、長男が長谷川だということは、あまり知られていなかった。
長谷川は3才の時に堯さんに連れられて初めて見た映画『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』に衝撃を受け、映画漬けの日々が始まった。高校時代には年に100本の映画を見たという。
小学3年生の時には堯さんの仕事の関係で、イギリスで暮らしたこともある。
「お父さんの勤務先から研究費が出て、家族で1年間暮らすことになったそうです。長谷川さんは行きたくないと駄々をこねたそうですが、“その経験があるから物おじしない性格になった”と話しています」(長谷川の知人)
映画少年だった長谷川は中央大学文学部に進学。大学を卒業すると一度は会社員になるものの、役者の道に進むため、わずか1年で会社を辞め文学座の門を叩く。そこから堯さんとの間に溝ができてしまったという。
「当時、お父さんは会社を辞めて役者になることを猛反対したそうです。お金がなかった長谷川さんは都内の実家に住みながら役者の稽古に励んでいたのですが、お父さんと顔を合わせるたびに言い合いになるので、次第に会っても口をきかなくなったそうです」(前出・長谷川の知人)
やがて長谷川は、2010年のドラマ『セカンドバージン』(NHK)で、鈴木京香(50才)演じる17才年上の女性と不倫関係に陥る若手起業家役でブレークすると、続く『鈴木先生』が話題となり、人気俳優の仲間入りをする。
「俳優業が軌道に乗り始めたことで、お父さんも認めてくれたようです。実はこの頃、彼はお父さんの“お宝”を持ってテレビ出演していたんです」(前出・芸能関係者)
その番組は、2011年5月24日に放送された『開運!なんでも鑑定団』(テレビ東京系)。長谷川は堯さんの骨董品を持って出演した。
「三代目歌川広重による浮世絵で、お父さんが自分の本の表紙に使うために、1990年頃に購入したものだと話していました。この時、“父が建築評論家なんです”と、おそらくテレビで初めて明かしたんじゃないかな。長谷川さんは10万円だと思っていましたが、評価は25万円。自宅に戻ってお父さんと喜んだそうですよ」(番組関係者)
晩年は交流を続けてきた。
「長谷川さんは時間さえあれば実家に帰ってきていました。やはり病気が心配だったんでしょう。当初は役者を反対していたお父さんでしたが、晩年は長谷川さんの出演作も見ていたと聞きます。自慢の息子だったと思いますよ」(近隣住民)
堯さんの葬儀は密葬だった。後日、お別れの会が開かれる。
※女性セブン2019年5月9・16日号