女性として世界で初めてエベレスト登頂や、七大陸最高峰登頂を成し遂げた登山家の田部井淳子さん(享年77)に「死のサイン」が訪れたのは2012年の春だった。長男の進也さんが振り返る。
「福島のイベントへ行っていた母が、『お腹がチクチク痛い』と訴えたんです。福島の病院で慌てて受診すると、腹膜がんで余命3か月と宣告されました。すぐに帰宅させ、翌日からがん研有明病院(東京)に入院したのですが、その直前は、あまりの痛さに寝込んでしまってスープも飲めない状態でした」
田部井さんは2007年にも乳がんの手術を経験している。登山中にコットンで体を拭いていたところ、胸のしこりに気づき、すぐに切除手術を行った。早期に発見できたため、幸い、転移はなかった。さらに、子宮頸がん予防のため、子宮の摘出手術も予定していたという。
女性のがんについて、きくち総合診療クリニック院長の菊池大和さんはこう語る。
「乳がんも子宮頸がんも、原因には女性ホルモンのエストロゲンがかかわっています。乳がんになりやすい人は子宮頸がんにもなりやすいという傾向があります」
定期的な検査を受け、予防への意識も高かったにもかかわらず、予期せぬ腹膜がんがわかり、家族のショックは大きかったという。
だが、田部井さん自身はまったくうろたえることなく、「病気になっても病人にはならない」をモットーに“それまで通り”の生活を続ける。しかし、抗がん剤治療は日常の自由を少しずつ奪った。
「手がしびれてペットボトルのふたが開けられなかったり、財布のお札が数えられなかったり、包丁で千切りもできなくなったので、料理は父が担当することになりました。吐き気や倦怠感がつらいとも言っていましたが、つらい姿を人には見せず、治療の合間に気分転換とトレーニングを兼ねて、近くの日和田山(埼玉)に何度も登っていましたね。母にはまだやりたいことがたくさんあり、“もっと生きたい”と強く願っていました」(進也さん)
登山や地方での講演などを精力的に続けていた田部井さんだったが、2014年に、腹膜がんが脳に転移したことが発覚する。最新治療のガンマナイフで脳の転移は消えたが、その後、腹膜がんの再発がわかる。
「再発のあとも抗がん剤治療はしていましたが、母は緩和ケアに移ることを望みました。それからは母の死に向き合い、“いかに満足して死んでもらうか”を考えるようになりました」(進也さん)
死の3か月前、病身の田部井さんは、東日本大震災で被災した高校生とともに富士山登頂に挑戦する。進也さんも母をサポートした。
富士山登頂は7合目で断念したが、田部井さんは満足した表情を浮かべていたという。
※女性セブン2019年5月9・16日号