末期のがんは、鍛え抜いた屈強な肉体も簡単に蝕む。
「血液検査で異常な数値が出たのですが、まさか、がんだとは主人も私も、想像もしていませんでした」
そう振り返るのは、ロサンゼルス五輪、ソウル五輪の柔道で2大会連続金メダルを獲得した斉藤仁さん(享年54)の妻、三恵子さんだ。斉藤さんは、糖尿病予防のため毎月血液検査を受けていた。すると2013年7月の血液検査で異常事態が発生する。肝数値を示すALP値が通常の数百倍になったのだ。
「医師からは、『糖尿病の薬を変えると急激な数値が出ることもある』と説明がありました。あの時、精密検査をしておけばという思いはありますが、本人も、体調に何も不調がなかったので、薬を変えた影響だろうと疑いもしませんでした」(三恵子さん)
しかし、数値の異常は変わらず、3か月後の10月に精密検査を受けた。そして12月末には肝内胆管がんであることが判明し、年明けにはリンパ節に2所転移し、ステージ4であるとわかった。この時、すでに最初のサインから半年近くが経過していた。
「転移していて、もう手術もできないとわかった時は、さすがに本人も落ち込みました。一度だけ『つらいな…』と漏らしましたが、その後は一切弱音を吐くことはありませんでした」(三恵子さん)
がんであることは、ほんの一部の人にしか明かさず、腹水を4リットルもためて海外の柔道大会に赴き、強化選手の指導をすることもあった。
父の背中を追って柔道を始めた次男の立くん(17才)はまだ幼く、いつまでも心配させるのはかわいそうだからと、「病気は治った」と伝えていたという。
「実際、夫が亡くなったあとに立に聞いたら、本当に治ったと信じていたらしいです。病気が進行していたと知ってびっくりしたそうです」(三恵子さん)
斉藤さんは、「けがや病気以外で練習は休むな」というのが子供たちへの口癖だった。
いよいよ危篤となると、三恵子さんは「今日は子供たちの練習を休ませますか」と夫に尋ねた。すると斉藤さんは、声を振り絞ってこう言った。
「稽古に行け」
――その翌日の深夜3時前、斉藤さんは子供たちに見守られながら天国へと旅立った。
「本当にあれが最期の言葉でした。とにかく柔道一筋の人で、子供たちに自分のすべてを伝えようとしていた。私は、彼のすべてである息子たちを預かった気がして“自分も頑張らなければ”と奮い立ちました」(三恵子さん)
今年3月、全国高校柔道選手権で、立くんは大将としてチームを優勝へ導いた。
たくましい息子たちは、今日も、父親譲りの猛練習を続けている。
※女性セブン2019年5月9・16日号