近年なくなった著名人。訃報を聞いて驚いた方も少なくないだろう。そこに死のサインはあったのだろうか…?
強い女性の象徴のような人だった女優の十勝花子さん(享年70・2016年逝去)も、思いがけないがんに倒れた1人だ。
平成の“迷勝負”の1つとして残る「ミッチー・サッチー騒動」で、浅香光代(91才)の助っ人として参戦する十勝さんの姿を覚えている人も多いのではないだろうか。娘の服部令子さんは、十勝さんをこう振り返る。
「生前の母は酒もたばこもやらず、マラソンを日課にしていて健康そのもの。東京と、再婚した相手の男性が暮らす長崎の実家を行ったり来たりして、とても元気でした」
病気知らずの十勝さんに異変が起きたのは2016年7月。70才の時だった。胃の調子が優れず、便秘もひどかったため、医師のすすめからCT造影検査を受けると、思いもよらぬ結果が出た。
「検査の直後、『ごめん、お母ちゃん病気になっちゃったみたい。病院についてきて』と連絡がありました。私は“あの十勝花子が病気になるわけがない”と高をくくっていましたが、医師からは『ステージ4の大腸がんで、もって半年』と宣告されました」
がんの早期発見について、きくち総合診療クリニック院長の菊池大和さんはこう説明する。
「乳がんや甲状腺がんと違い、大腸がんや胃がんは進行しないと症状が出にくい。ですが、過度な便秘や、便に血が混じる、便が細いなど、何かしら症状があります。ふだんと比べながら、ちょっとしたことをチェックする習慣が大事です」
十勝さんは健康診断を受けておらず、令子さんは「もっと積極的にかまってあげればよかった」と後悔をにじませる。抗がん剤治療は凄絶なものだった。
「ゲエゲエと吐き出して、苦し気な表情を見せました。あんなに弱々しい母の姿は見たことがなく、“もうダメなのかもしれない”と実感しました」(令子さん)
それでも幸いだったのは、この時期に初めて母に寄り添えたことだったという。令子さんが幼い頃に十勝さんは離婚し、令子さんは父方の祖父母に引き取られていたため、母娘の時間をともにしたことはほとんどなかった。
「闘病中、母は『あんた、小さい頃にピンク・レディーのマネしていたの覚えている?』と、私の子供の頃の話を何度も繰り返しました」(令子さん)
入院から3週間後、十勝さんは最期の日を迎える。
「苦しそうな呼吸を繰り返しながら、『ありがとう』と3回言ったのはわかりました。その後、意識がもうろうとして、静かに息を引き取りました」(令子さん)
あまりにも短い母との時間だったが、令子さんの心には永遠に残る記憶となった。
※女性セブン2019年5月9・16日号