平成最後の大事件である「ゴーン逮捕」──。日産の救世主から一転、犯罪者の烙印が押されようとしている。全容解明が待たれるが、人々の記憶に残っているのは、保釈時の「変装姿」だろう。インテリジェンスの専門家・佐藤優氏が、評論家・片山杜秀氏との対談のなかで、その真意に言及した。
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片山:ゴーンの保釈に関して、検察はとても神経質になっています。自白しない限り保釈しないという「人質司法」に、海外では批判が集まりました。ここにはどんな思惑があるのでしょうか?
佐藤:数十億円の保釈金を没収されてもゴーンは痛くもかゆくもない。問題は保釈した場合、ゴーンがどう動くかです。たとえば、東京拘置所から出てきたゴーンが釣り船で海に出て、沖合でクルーザーに乗り換える。そして公海に出てしまったら国際法上追いかけられない。そのまま犯罪者を引き渡さないという慣行が国際法でも認められている。ブラジルまで行ってしまったら、もう手出しできません。
もう一つ保釈できない理由があった。警察と違って特捜部には、ゴーンを保釈したあとに24時間、行動確認をするマンパワーがない。
片山:となると検察には、東京拘置所から出さないように仕向けるしかなかったわけですね。結局、ゴーンは保釈されましたが、最初(3月6日)の保釈時の作業着姿への「変装」はどう見ればよいのでしょう。
佐藤:ゴーンが変装しないでも済むような態勢を東京拘置所は整えることができたはずです。東京拘置所の地下に駐車場があるので、そこからゴーンをワゴン車の後部座席に乗せ、周囲を分厚い遮光カーテンで遮断すれば、強いフラッシュをたいても写真に映ることはありません。
法務省、すなわち東京地検特捜部の意向を反映して、東京拘置所が、容易にゴーンの姿を撮影できるような場所を出口に指定したので、弁護側としても変装という手段をとらざるを得なかったのだと思います。
ちなみに私が2003年10月8日に保釈になったときは、拘置所職員が「カメラマンが控えているので、裏口から出ましょう」と言って、通用門から外に出してくれました。従って、車に乗り込むときの様子は撮られませんでした。今回、拘置所は私に対して行ったような配慮をゴーンにはしなかったのでしょう。
勾留直後は、精神的にも体力的にも消耗しています。さらに写真や動画を撮られると、手を動かす、視線を合わせる、そらせるなどの些細な動作について悪意を伴った解釈とともに報じられます。
写真や動画を撮られないことが、被告人の利益に適います。だから、弁護団は変装を思いついたのでしょう。弁護士の仕事は、依頼人の利益を極大化することです。
この点で、ゴーン弁護団は、変装というマヌーバー(陽動)作戦によって、ゴーンの名誉と尊厳を守り抜くという実に優れたインテリジェンス工作を行ったと思います。
片山:しかし、これでブラジルまで逃げられてしまったら、司法の歴史に残る大失態ですね。
*佐藤優・片山杜秀著『平成史』(文庫版)より一部抜粋。同書の刊行記念イベント「令和時代を生き抜くために」が6月24日に紀伊國屋ホールにて行われる。詳細はhttps://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20190424103000.html