小沢一郎。47歳で自民党幹事長に就任、政治改革を掲げて党を飛び出すと、自民党と対決して細川連立政権、民主党政権と2回の政権交代の立役者となった。これまで決して政治史の舞台裏を語ることがなかった小沢が、平成日本を変えた数々の場面で何が行なわれ、どんな葛藤があったのかを「歴史の証言者」として初めて明らかにした。(文中一部敬称略)
◆禁断の自社連立(1994年6月)
〈細川護熙首相退陣後に羽田孜内閣が誕生するが、社会党や新党さきがけは連立を離脱し、自民党が提出した内閣不信任案の賛成に回る。羽田は解散を決意したが、小沢は「解散したら小選挙区制が白紙に戻る」と止めた──というのが定説とされる。〉
小沢:羽田さんは確かに「解散する」と言ってました。不信任案可決のすぐ後に俺は官邸に行って、「どうするんだ?」って言ったら、「解散するしかない」と。僕は(新生党の)党本部に電話を入れた。「解散だ。準備しろ」って。
──あなたが解散にストップをかけたのでは?
小沢:止めてません。逆に「選挙の準備をしろ」と指示したんだから。ところが翌日の明け方になるにつれて、羽田さんの様子がおかしくなっていった。選挙になれば惨敗すると分かっていた野党の社会党が“いったん総辞職してくれれば、次の首班指名ではみんなで羽田に入れる”と持ちかけてきたわけです。