仕事にも病気にも、唯一無二のつきあい方をしていたのは、「オヒョイさん」の愛称で親しまれた藤村俊二さん(享年82)だろう。ダンディーかつ、飄々とした振る舞いの裏で、57才の時に胃がんで胃の3分の2を切除してから、大動脈瘤、心不全などの大病を次々に患った。
胃がんで入院中も、女性看護師7人を誘ってうなぎ屋に行くほどの“プレーボーイ”だったオヒョイさんだが、死のサインが訪れたのは2015年10月のこと。長男の亜実さんが語る。
「食事の時、ぼくが呼ぶといつも部屋から出てくるのですが、返事もなく、部屋をのぞいたらベッドの上でぐったりしていました。最初は、睡眠薬を間違ってのんでしまったのかと思いましたが、そのまま床に倒れてしまって、すぐに救急車を呼びました。小脳出血でした」
脳にできた血栓を手術で取り除くと、鴨川(千葉)にある病院に移ってリハビリを開始した。だが、すぐに肺炎を患ってしまい、ほどなくして、ほとんど寝たきりの状態になった。
そこからの1年、亜実さんは父の介護に専念した。
「父はぼくが20才の時に家を出て行き、ぼくは大学卒業後アメリカに住みました。帰国するまでの約15年間、まったく話をしない時期もありましたが、親子の関係を取り戻したいという気持ちはずっとありました。介護中はもう会話はできなかったのですが、口を大きく開けて純粋な表情でものを食べる親父を見たら、それまでのわだかまりがなくなって、心が軽くなるのを感じました」(亜実さん)
2017年1月25日、藤村さんの血圧が下がり始めた。この時、亜実さんは父の耳元でこうささやいた。
「“いろいろあったけど、親父でいてくれてありがとう。もしもどこかに光が見えたなら、そっちに行っていいよ”と伝えると、それから2~3時間で少しずつ血圧が下がって、親父は息を引き取りました。元気な頃からスーッといなくなるのが上手な人でしたが、最期の瞬間も親父らしい亡くなり方でした」
藤村さんはみっともない姿を晒すことを嫌がる人で、生前は「たばこを持つ手が震えるようになったら、舌を噛み切って死ぬ」と豪語していた。
しかし、亜実さんは、「もう少しここにいたい」という藤村さんの思いを感じたという。
「晩年は、動くこともしゃべることもできず、やせ細って、人様に見せられるような姿では決してありませんでした。親戚からは、かわいそうで見ていられないという声もあった。ですが親父は、きれいな看護師さんが来るとニコッと笑うんです。苦しいはずなのだけど、最期まで一瞬一瞬を楽しそうに生きていました」
※女性セブン2019年5月9・16日号