国民は、明治以降はじめての「生前退位」に伴う改元を熱狂とともに受け入れた。上皇・上皇后両陛下が国民に寄り添った平成時代を経て、日本人にとって「天皇」はより身近な存在となりつつある。一体なぜか。
天皇と国民の距離が縮まっている──。思想史研究者・片山杜秀氏は、そうした傾向は今に始まったことではないと語る。戦前、その役割を果たした一つに靖国神社を挙げた。
「日中戦争以降、たくさんの日本人が死んで神になり、靖国神社に祀られた。戦前の神道思想家の今泉定助は『臣民は死んだら神になって天皇と対等になる。靖国神社は天皇が頭を垂れにくる空間だ』と語った。
その意味では、戦前から日本人と神が近づく仕組みができていた。そして人間宣言を経た昭和天皇の姿がさらに国民との距離を近づけた。昭和天皇は意識的に現人神から人間天皇になろうとした。だから背広を着て、全国を巡幸して、国民に帽子を振り続けたわけでしょう」
昭和天皇の流れを継いだ現上皇も全国に足を運び、時に災害をおこると、床に膝をつけながら、被災者を励ました。そうした天皇自らの行動に加え、やはり神社が国民との間の結節点になったと分析するのは元外務省主任分析官・佐藤優氏である。
「私は、天皇と国民の距離の変化を象徴するのが、神前結婚式だと感じるんです。実は神前結婚式は、戦後に定着した比較的新しい慣習です。戦前は親類縁者に承認してもらうために披露宴を行うだけで、神社で挙式することはあまりなかった。
人間宣言の結果、神の前で結婚のお披露目をすることに抵抗がなくなった。だから初詣や七五三の参拝者も戦後の方が増えている」
戦中に少年だった世代は強制的に神社を参拝させられていた。戦後、国家神道がなくなっても、神社参拝に行く習慣ができていた。その世代が、神社と国民の距離を縮めた。再び佐藤優氏の分析。
「強制か、自発か。その違いは大きいですよね。終戦までは公務員だった神職がそれぞれ金を稼がなければならなくなった。そこで彼らが初詣や七五三などの年中行事や神前結婚式などで、神社を参拝する機会をつくった。
これは、すごい仕掛けだと思うんですよ。天皇や神道が我々の生活に密着した。天皇が空気のように、いるのが当たり前の存在になったのですから」
*佐藤優・片山杜秀著『現代に生きるファシズム』(小学館新書)を再構成。同書の刊行記念イベント「令和時代を生き抜くために」が6月24日に紀伊國屋ホールにて行われる。詳細はhttps://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20190424103000.html