選択肢を増やせるという意味でお金は重要だが、人生が損得だけで割り切れるものでもない。コラムニストの石原壮一郎氏が指摘する。
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このところネット上では、「心付け」や「チップ」にまつわる話題が盛り上がっています。海外旅行で日本人がもっとも戸惑うのが、チップをどうすればいいか問題。日本では原則としてチップを渡す習慣はありません。ただ、チップとは似て非なる「心付け」という文化はあります。
あるツイッターユーザーが、弟が彼女と温泉旅行に行って、旅館側に多めの心付けを渡したことをきっかけに彼女と大ゲンカになり、別れを告げて先に帰ってきたという話を投稿。さまざまな意見が寄せられましたが、多くは「弟さんは悪くない」というコメントでした。それはそれとして「心付けという文化を知りませんでした」という声もちらほら。
「心付け」の是非や自分が渡すかどうかはさておき、そもそも「知らない」という人が少なくない気配なのは、けっこう衝撃的です。もちろん、知らないままでも人生においてとくに差支えはありません。しかし、知ったり実践したりすることで、さまざまな楽しさや快感を味わえます。「心付け」の効能に、あらためてスポットを当ててみましょう。
「心付け」を渡すチャンスがあるのは、日本旅館に泊まったとき、引っ越し業者さんを頼んだとき、家を建てたりリフォームしたりしたとき……などでしょうか。タクシーで重い荷物を積み下ろししてもらったり、路地の奥の奥まで入ってもらったりしたときに、お釣りの端数を「けっこうです」と断わるのも、広い意味では「心付け」の一種ですね。冠婚葬祭にまつわる場面での「心付け」は、またちょっと意味が違うかも。
強調したいのは「心付けは『義務』ではなく『権利』である」ということ。渡さなくても、マナー違反なんてことはぜんぜんありません。誰にも責められないし、罪悪感を覚える必要もありません。だからこそ、わざわざ渡すことで、こちらの「心」を伝えることができて、渡したほうも渡されたほうも幸せな気持ちになれます。「渡す意味がわからない。もったいないだけ」と思うなら、渡さないほうがいいでしょう。別の意味でもったいない話ですけど、それはそれぞれの考え方です。