スクールバスを待つ小学生らが次々に襲いかかられ、19人が殺傷された今回の川崎事件。これと重なるのは、2001年に起きた大阪教育大学附属池田小事件だ。面識もない無抵抗の児童が狙われ、犯人が犯行動機などを自ら明かす前に死亡した点も共通している。池田小事件の犠牲者遺族の目に、カリタス小の事件はどう映ったのか。
「川崎の事件の凄惨な映像を目にしたら、あっという間に18年前の記憶が蘇ってきました。もうそれからは1日中、何も手につかなくて……」
沈痛な思いを語ったのは、池田小事件で長女の花菜ちゃん(当時7歳)を亡くした塚本有紀さんだ。
【池田小事件とは/2001年6月8日、大阪・池田市の大阪教育大学附属池田小学校に、宅間守・元死刑囚(当時37)が刃物を持って侵入し、1年生1人、2年生7人を殺害したほか、児童や教員に重軽傷を負わせた。裁判の過程で、宅間・元死刑囚は自ら死刑判決を望む主張を繰り返していた。2004年9月、確定から1年という異例の早さで死刑が執行された】
「私は『なんでなん?』という、真相を知りたい思いを胸にあの男の裁判と向き合っていました。犯人の口から聞くのは辛いことやけど、私は知りたかった。でも、今回の事件では犯人が死んでしまったために、その機会も失われています。ご遺族の方のお気持ちを思うと、その痛みは計り知れません」
塚本さんは宅間守・元死刑囚の供述調書を読み解くことで、娘の最期の姿を知った。事件の2年後の公判の意見陳述で、「私の手でこの男を殺してやりたい」と怒りをぶつけもした。