【著者に訊け】川村元気氏/『百花』/1500円+税/文藝春秋
着想は5年前に認知症を発症し、すべてを忘れていった祖母にあった。
「映画『君の名は。』の製作中に発症して、つい先週、この『百花』が出た矢先に亡くなったんですね。僕も〈あなたは誰?〉って聞かれた時はさすがにヘコみましたが、それからはなるべく祖母と会って話を聞いたり、自分でも『記憶集』と名づけたノートをつけたりして。例えば僕が『昔、海で魚を釣ったね』と言うと、『違う、あれは湖よ』と祖母に訂正されたり、意外にも忘れたり記憶を改竄したりしているのは、僕の方だったんです」
まして本作の主人公〈葛西泉〉の場合、異変は母〈百合子〉に起きる。ある年の大晦日、〈家に帰ると、母がいなかった〉。汚れた食器をそのままにし、電話にも出ない母を探しに行くと、公園のブランコにぼんやり揺られる母の姿が。最近は計算が億劫で紙幣ばかり出してしまうという母の小銭で膨れた財布に息子は母の老いを痛感し、母一人子一人で生きてきた日々や、母が抱えてきたある秘密に、向き合うことになるのだ。
「祖母からの問いかけに、僕は自分が何者か、即答できなかったんです。僕はあなたの孫で、今年40歳です、仕事は映画製作者で小説も書きますと言ったところで、自分の何を証明したことになるのか、と。
人工知能研究者と以前話した際、最終的には人間を作りたいという彼らが言うには、AIを人に近づける最大の鍵は記憶にあるらしい。そのとき、もし自分が作家のAIを作るなら、三島や太宰の作品をディープラーニングさせた後で、例えば『愛』という言葉の記憶を喪失させるだろうなと思った。
つまり何を記憶し、何を忘れたかがその人を形作り、個性を生むことに、理系のアプローチで気づいたんです。その点、本当に大事な記憶だけを纏った祖母は、清々しくすらありました」