「父は最後まで明るく良く通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きだった(スペイン人歌手の)フリオの歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました」
老衰のため6月26日に亡くなった高島忠夫さん(享年88)について、息子で高島兄弟の弟である高嶋政伸(52才)は努めて明るくこう語った。仕事先で訃報を知ったという兄の高嶋政宏(53才)も、「母曰く最後は眠るように旅立っていった、のがせめてもの救いです」とコメントした。
父の死を前向きに受け止めようとする兄弟だが、彼らはこの先、親が亡くなったあとにもたらされる、ある問題に直面することになる。それは、「相続」にほかならない――。
1952年に映画『恋の応援団長』でデビューした忠夫さんは「歌うスター」として人気を博し、1963年に宝塚トップスターだった寿美花代(87才)と結婚。1965年に政宏、1966年に政伸が誕生した。
その後、高島ファミリーは芸能界きっての仲よし家族として知られるようになり、右手の親指を突き立てる「イェーイ」のポーズが一家のトレードマークとなった。
だが1998年に忠夫さんがうつ病を患うと生活が激変。2003年に芸能界復帰を果たした後もパーキンソン病や不整脈で心臓にペースメーカーを取りつけるなどの闘病が続いた。
2013年に放送されたドキュメンタリー番組では、やせ細った忠夫さんが会話中に眠り込むなど生々しい姿をさらけ出し、大きな反響を呼んだ。
「80才を過ぎてから忠夫さんは入退院を繰り返し、寿美さんが介護をしていました。いわゆる老老介護の状態です。寿美さん自身も年を取って衰えを実感するなかでも忠夫さんを施設に預けず、ホームヘルパー3人との協力体制で介護を続けてきました。政宏さんと政伸さんも時間をみては家族を連れて父親を訪ねていました」(高島家を知る関係者)
忠夫さんの容体が急変したのは、ここ1~2か月のことだったという。
「最後の1か月は意識が朦朧としていて会話ができる状態ではなかったようです。ただ気になるのは、その直前の5月中旬、高島家の自宅豪邸の一部を兄の政宏さんだけに生前贈与していたことです」(前出・高島家の関係者)
◆勝手に土地を売らないように