短冊に願い事を書いて笹の葉に飾る。誰もが子供の頃から親しんできた七夕祭りが今年も近づいてきた。彦星と織姫が年に一度だけ会える日──そんなロマンチックな伝説とはかけ離れた「七夕祭りの真実」を、歴史作家の島崎晋氏が紐解く。
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7月7日の七夕は短冊に願い事を書いて竹の枝葉に飾る行事。今月5~7日に開催される「湘南ひらつか七夕まつり」や8月6~8日の「仙台七夕まつり」のように、様々なイベントと合わせた大掛かりなものもあるが、全国的にみれば、竹林のある寺社の境内に屋台が並ぶくらいである。
だが、七夕は非常に古くからある行事であり、本来は旧暦7月7日あるいはその前夜に行なわれていたもの。現在の暦に換算すれば、8月の酷暑の盛りにあたり、行事内容も大きく違っていた。
現在の一般的な理解では、7月7日は彦星と織姫が一年に一度だけ会うことを許された日となっているが、この話自体は中国伝来のもの。日本ではこれに盆行事の準備としての意味合いと民間習俗が加わり、主に東日本の農村社会で独自の行事が形成された。
明治以降の近代化の波に押され、さすがに現在では見られなくなった日本独自の七夕とはどんな行事だったのか。日本民俗学の創始者である柳田国男(1875~1962年)が全国から収集した伝承をまとめた『年中行事覚書』という著書の中に「眠流し考」と「犬飼七夕譚」という章を設け、多くの具体例を取り上げているので、それを手掛かりにするとしよう。
まずもっとも広く普及していたのは、7月7日の朝、畑に入ってはならないとの言い伝えで、そのタブーを犯せば作物に害虫がつくとか雑草が生い茂る、または当人が病気になるなど何らかの制裁が下ると言われていた。
信州の南安曇郡(現在の長野県安曇野市と松本市の一部)では家ごとに少しずつ伝承が違っており、入っていけない場所を野菜畑や蔓物の畑、夕顔の畑、ササゲ(マメ科の一年草)の畑など、作物を限定しているところが面白い。