84才の認知症の母親の介護をするN記者(55才・女性)。記憶障害も進んできだが、驚くべきことに仕事での記憶だけは今でもふと思い出されることがあるという。
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つい最近、母と娘と3人でファミリーレストランに行った時のことだ。メニューを開くと定食のご飯や小鉢の種類、食後の飲み物など、たくさんの選択をせねばならず、母も初めは集中して選んでいたが、やはり途中棄権。メインのかきフライだけ選んで後を私たちに任せると、注文を聞く若い女性店員さんに興味の視線を向けた。
3人分の複雑な注文内容を、私と娘が間違えたり変更したりしながら言うのを店員さんは涼しい顔で聞き、手元の機械を手際よく操作すると「ご注文を繰り返しまーす!」と、見事に繰り返してみせた。
そんな様子を羨望の目で追っていた母は彼女が去るなり、
「あの人すごいわねー!」と、感嘆の声を上げた。そして驚くべきことをつぶやいたのだ。
「私にはあの仕事、ちょっと無理ね。難しすぎるもの…」
「えっ!? ママ、働こうと思ってるわけ?」と、私は考える間もなく返した。
「そうよ。私、パパが死んだ時、これからどうやって生きて行こうか悩んだの。それで道々、求人募集なんか見てたんだけど、雇ってもらえるかな? 向こうも困るかしらね、こんなばあさんじゃ(笑い)」
娘と母は顔を見合わせて笑い転げ、私は母の認知症の具合と発言の真意を測りかねて、とりあえず一緒に笑った。
母は実家の家業だった注文紳士服の仕立て職人として、結婚して私が生まれてからもずっと家で仕事をしていた。母の仕事はとても巧みで評判がいいと叔母たちからも聞いていて、子供心にカッコいいと思っていたが、当の母は、
「お金のためよ。家のローンも学費もあるし」と素っ気なく、仕事を引退するという時にも、「もうミシンもアイロンも見たくないわ」と、あっさりしたものだった。
私にとって仕事は、お金のためでもあるがプライドでもある。でも母にはそうでもなかったのかと、若かった私は少々がっかりした覚えがある。ところが、この思いが覆される出来事があった。
独居が難しくなった母を今のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に移すため、父と母が暮らした家を片づけた時のことだ。大量の荷物はほとんど廃棄するしかなかったが、母は「Nちゃんがいいと思ったら捨てちゃって」と、無気力に言い放っていた。
そんな中、唯一母が手に取ったのは古い預金通帳だった。私が中学生の時、父の転勤先の関西に家族で転居して間もなく、父が病気で休職。一時、母が家計を担うことになり、見知らぬ街で服の仕立ての職を探し、働いたのだ。
通帳は、その会社の給与振込口座のものだった。
「これはね、ちょっと頑張って働いた時の通帳なのよ。だから捨てないで」と、母は言った。
家族の危機に奮起して働く若い母の姿が浮かび、仕事の誇りと喜びは、認知症になっても深く心に刻まれていたのだと、うれしくなった。
それにしても80才を超えてまだ働く気でいることには驚いた。理解力の欠如ともいえるが、社会のど真ん中で生きる意欲と捉えておこう。
※女性セブン2019年7月18日号