過去の政治の転換点で、「もしもこの政治家が総理になっていたら、“国のかたち”は違っていたかもしれない」と期待された人物は少なくない。
日本政治の分水嶺はどこにあったのか──参院選(7月21日投開票)を前に検証することには重要な意味がある。本誌・週刊ポストのアンケートで政治家OB、政治記者、評論家ら30人が「総理になってほしかった政治家」を選んだ(別掲表)。
宮沢(喜一)政権下で自民党は大分裂し、1993年の総選挙に敗北して細川(護熙)政権が誕生するが、このとき、自民党内では“カミソリ”の異名を取った後藤田正晴・元副総理(5位)の擁立構想が練られていた。
「中曽根(康弘)内閣の官房長官時代には、海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣する問題で、『私は閣議でサインしない』と公然と反対して総理に派遣を断念させるなど、政治信条に反することは職を賭して止める覚悟があった」(後房雄・愛知大学教授)
官僚の中からも後藤田待望論は強かった。しかし、本人はクビを縦に振らなかった。第一次安倍内閣の官房副長官を務めた的場順三氏の話だ。
「竹下(登)内閣退陣後、自民党が揺れ動く中で私を含めて後藤田さんが総理になるべきだと動いた人がいました。ですが、『総理になってはどうか』と勧めても、後藤田さんは『俺は警察官僚だから、総理には相応しくない』といい、われわれに『動くな』と擁立の動きをやめさせました」
おのれの「本分」を知る政治家であった。
これからポスト安倍時代の総理・総裁選びが始まる。パッとしない顔ぶれに国民は、「誰が総理になっても政治は変わらない」と思いがちだが、そうではない。過去、自民党内の政治力学で“総理になれなかった政治家”たちをみると、トップの人選で国の針路が大きく変わり、国民生活に重大な影響を与えてきたことがわかるのである。
※週刊ポスト2019年7月19・26日号