吉本芸人の闇営業問題は、芸能界と反社との関係性を改めて浮き彫りにしたとされる。ジャーナリストの伊藤博敏氏が、名だたる昭和スターたちと交遊を重ね、“最後の顔役”と言われた元山口組直参組長に、吉本興業の闇営業騒動と、勝新太郎さんとの思い出について聞いた。
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元山口組直参組長・天野洋志穂(よしお)。「伝説のヤクザ」といってよかろう。昭和15年生まれの79歳。三代目山口組最高幹部だった「ボンノ」こと菅谷政雄・菅谷組組長の若中(直参)を務め、波谷組を経て、山口組ナンバー2である若頭の宅見勝が率いた宅見組副組長になった。
1997年、宅見が同じ山口組中野会によって暗殺されると、1998年、天野組を組織、翌年、山口組直参となり、中野会報復体制を継続。2002年、傘下組員が沖縄で中野会副会長を射殺している。
武闘派として知られる一方、勝新太郎、鶴田浩二、高倉健、菅原文太といった映画スターとの交遊は、知る人ぞ知るところであったが、それが表沙汰になったことは一度もない。
2008年、六代目山口組から除籍処分を受けて引退。以来10年強が経過したが、芸能界の「裏」と「表」を知る天野は、吉本興業の雨上がり決死隊・宮迫博之らの闇営業発覚を機にした直近の引退騒動を、どう見ているのか。
「スケールが小さ過ぎてイヤになるわ」
天野の口から出た最初の言葉がこれだった。天野と映画スターとの間にあったのは、「カネをもらって芸をし、一緒に酒を飲む」といった金銭の絡む軽い関係ではなかった。
◆母の法事に来てくれた