曹操の墓からの出土品など当時の考古史料を集め開催中の「特別展 三国志」が話題だ。三国志ワールドの魅力といえば、個性豊かな英雄豪傑である。中には、後の世に「神様」として祀られた人物もいる。歴史作家の島崎晋氏が、その主要な一人・関羽について解説する。
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上野の東京国立博物館平成館では「特別展三国志」が開催中だが、去る7月26日には横浜中華街でも、年に一度だけ「関帝廟」の関羽像を神輿に載せ中華街を練り歩く祭り「関帝誕」が行なわれた。
行列のスタート地点は関帝廟通りにある山下町公園で、スタート時刻は夕方の5時。関帝廟で関羽像を載せた神輿が合流してからが祭りの本番である。爆竹や銅鑼の音が響き渡るなか、獅子舞や龍踊り、男性のパフォーマー、女性の踊り子などに続いて、周倉(関羽の側近)と関平(関羽の子)に先導された神輿が進む。通りに祭壇が用意されたところではしばし歩みを止め、線香と祝儀を受け取ってはまた先へと進む。こうして中華街を一周するのである。
関羽は三国志の登場人物のなかでも屈指の人気者で、伝承によればその誕生日は旧暦の6月24日。今年は7月26日となったが、来年以降「関帝誕」を見に行きたいと考えている人は横浜中華街の公式HPをときどきのぞき、催事の予定をチェックすることをお勧めしたい。
それにしても、なぜ関羽が神様として祀られているのか。横浜に限らず、長崎、神戸、函館と、日本の歴史ある中華街には必ずといってよいほど関羽を商売の神として祀る「関帝廟」と航海の守護神を祀る「媽祖廟」が存在する。日本以外のチャイナタウン(唐人街)でも同様である。
海外であるから航海の神はわかるとして、なぜ関羽が、それも商売の神として華僑・華人のあいだに根付いているのだろうか。
その理由をさかのぼると、関羽が山西省南西部に位置する現在の運城市出身であったことに行き当たる。