吉本芸人の闇営業問題を持ち出すまでもなく、もともと芸能界と反社との繋がりは浅くない。勝新太郎や高倉健など、名だたる昭和スターたちと交友を重ねた元山口組直参組長・天野洋志穂(よしお)氏(79)に、菅原文太さんとの思い出を聞いた。ジャーナリストの伊藤博敏氏がリポートする。
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『日本侠客伝』や『昭和残侠伝』などのシリーズが人気を集めていた高倉健が離れた東映を、トップ俳優として引っ張ったのが菅原文太だった。1973年の主演作『仁義なき戦い』を皮切りに、「任侠の美」から「実録の本音」に主題は移った。
「健さんと違って、文ちゃんは酒が強くて付き合いやすい。なんぼでも飲むし、顔にでえへん。新東宝から東映に移ったばかりで、売れてない時代からの付き合いやね。人懐っこいところがあって、誘うと断わらないからいろんな所に行った。懐かしいのは、鳥取の賭場に連れてったこと。知り合いの親分が開帳するというんで、夜行寝台で文ちゃんと一緒に行ったこと。『勝つから、待っといてや』というて勝負したけどすってんてん。『仕方ありませんね』と、文ちゃんも笑うとった」
家族ぐるみの付き合いだったこともあり、2001年、菅原の長男の俳優が、踏切事故で亡くなり、落ち込んでいると聞いた天野は、心配して夫人とともに、当時、菅原夫妻が住んでいた飛騨高山を訪れている。
「文ちゃん夫妻とは、わしら夫婦と一緒に温泉にも行った仲やから気になったんや。雪が深いところでね。膝まで埋もれながら探し当てた。家について何回、呼び鈴を押しても出てこん。もう帰ろうか、と思った時、憔悴しきった顔で出てきて『あまちゃん……』と。かわいそうやったけど、元気を取り戻していった」
●いとう・ひろとし/1955年福岡県生まれ。東洋大学文学部哲学科卒業、編集プロダクションを経て、ジャーナリストに。経済事件、暴力団事件などの取材に定評がある。主な著書に『黒幕 巨大企業とマスコミがすがった「裏社会の案内人」』など。
※週刊ポスト2019年8月9日号