【書評】『シリーズ三都 江戸巻』/吉田伸之・編/東京大学出版会/5600円+税
【評者】山内昌之(武蔵野大学特任教授)
江戸が成立する上で、東西に立地した品川と浅草の演じた役割は大きい。多摩川と隅田川の河口に面した両地域は、今日まで及ぶ江戸・東京の繁栄を支え続けた。なかでも品川は、江戸の近郊地として行楽・遊興の場ともなり、御仕置場などの負の側面を担う境界地域でもあった。本書はシリーズ三都の初回出版として江戸の発展を多面的に扱う文章を集めた最新の論集である。
世田谷に彦根・井伊家の藩領があったと聞けば驚く人も多いだろう。豪徳寺近くの二三〇〇石の村が彦根藩の所領であり、藩邸で必要な労働力を御用人馬という名目で供給していた。これは農民にとり大きな負担であった。他方、江戸に永住する旗本は経済的理由から家臣や奉公人を最小限に抑えたことも興味深い。
また、主家を転々とする曲亭馬琴のような事例は珍しくない。旗本の家に仕えた馬琴は叔父が御船手同心に婿入りし、孫に御持筒(おもちづつ)同心の株を買ってやった。江戸の町では旗本の家臣と御家人が密接に交流する素地もあった。
大都市江戸の重要な要素は社寺の存在である。たとえば、徳川家菩提寺の増上寺は、多数の所化僧が学寮に生活して、将来の各地寺院の住職になる訓練をしていた。町人は立ち入りが難しく、同じ一山の浅草寺が芸能や見世物小屋を歓迎したのと好対照であった。それでも増上寺の高い格式の故に関係をもちたがる町人も多く、将軍権威の特権を得る抜け目のない者もいた。
江戸といえば、町駕籠も欠かせない風物だ。宝泉寺駕籠、京四つ駕籠など多くの名で呼ばれていた。江戸の町駕籠と品川の宿駕籠はまた違うのだ。いずれにしても駕籠屋が存在しなければ営業としての駕籠は成り立たない。駕籠屋とさまざまな駕籠との関係も興味をそそるテーマである。シリーズとして出される次の京都巻、大坂巻の刊行も楽しみなことだ。
※週刊ポスト2019年8月9日号