現在、中央競馬では8種類の馬券が売られているが、平成が始まった年(1989年)は単勝、複勝、枠連の3種類だけ。それでいて馬券の売上高は、現在とほぼ同じだった。競馬歴40年のライター・東田和美氏が、枠連をあえて買うタイミングについてお届けする。
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枠番連勝複式(枠連)は、複数の馬を一つのグループ(枠)にまとめることで買い目を抑え、配当を落ち着かせることを目的として昭和38(1963)年に登場した。それまでは6枠連単がメインで、かなりの高配当もあり、(競馬だけではないが)ギャンブル熱が社会問題となっていた。そのため総理府の付属機関から「的中率を上げて射幸心の過熱を避けるように」との答申が出される。それでも昭和45(1970)年には8頭立てのレースで12万馬券が出ており、現在に至るまで、これが枠連配当の最高額だ。
高度成長期を迎え馬券の売上はずっと右肩上がりで昭和41(1966)年に1000億円を、52(1977)年には1兆円を超え、昭和63(1988)年には2兆円に達し、さらに平成に入っても凄まじい勢いで伸び続けた。GIレースともなれば競馬場には人があふれ、ウインズでは入場制限が行なわれ、長い行列ができた。ダービーに19万人が集まった2(1990)年には売上も3兆円を超える。
馬番連勝複式(馬連)はそんなさなかの平成3(1991)年に始まった。これは枠連の問題点である出走取消が出た場合の扱いに苦慮していたからで、本来はブームを煽るためのものではなかったはず。JRAのPRもいたっておとなしく「『馬番連勝』10月5日からスタート。」と大見出し、その下に「JRAでは、同枠取消問題に対処するため」とわざわざうたっている。「馬で選ぶか、枠で選ぶか」というコピーが添えてあるが、大きな配当をもたらす可能性については一切触れていない。「射幸心」に対する気遣いはそれだけ強かったのだ。
しかし、競馬メディアは「夢馬券」などという言葉を使って、発売開始前から高配当への期待をあおっていた。発売初日には枠連で3190円、馬連で1万5740円というおあつらえ向きの結果を、翌日のスポーツ紙は大きく報じている。