終戦から70有余年。旧日本軍人は連合国から「戦犯」として裁かれた。しかし──そのなかには、敵国からも尊敬の念を抱かれた男たちがいた。立場を超えて「畏怖」の対象となった軍人たちの誇り高き足跡を辿る(記事中の肩書きは最終階級)。
第二次世界大戦末期、延べ3万3000機に上る米軍の爆撃機「B29」が、焼夷弾で日本の市街地を焼き尽くし、多数の民間人が犠牲になった。
当時の最新鋭機であるB29の飛行高度は約1万m。それを迎え撃つ日本軍の戦闘機「飛燕」は飛行高度8000m前後で、攻撃さえままならないといわれた。そうした中、機関砲や防弾板まで外して究極の軽量化を図ることでB29と同等の高度まで上昇し、敵機に体当たり攻撃することを目的に生まれたのが飛行第二四四戦隊の「はがくれ隊(震天制空隊)」だった。
同部隊で撃墜したB29はおよそ100機。その中で2度の体当たりを敢行し、いずれも機体から脱出して落下傘で生還したのが板垣政雄軍曹だった。
その板垣軍曹に戦後、一通のエアメールが届けられた。板垣軍曹を取材したジャーナリストの井上和彦氏が語る。
「封筒の中には、英語で書かれた手紙とB29のクルー全員の写真が入っていたそうです。それは板垣氏に体当たり攻撃を食らうも、辛くもサイパンまで逃げることができたB29の乗組員からの手紙でした。敵味方に分かれて戦ったとはいえ、同じ飛行機乗りとして、絶対不可能な作戦を完遂した板垣氏に“戦友”として、同じ軍人として、敬意を表したのでしょう」
※週刊ポスト2019年8月16・23日号