史上最強級のバラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(1985~1996年、日本テレビ系)は、お笑い界の巨匠・ビートたけしと総合演出を担当したテリー伊藤という2人の天才がタッグを組んで生まれた。番組誕生の経緯をテリー氏が話す。
「放送時間は日曜夜8時。僕もそうだけど、サラリーマンも学生も、『また一週間が始まる』と憂鬱な気分になっているんですよ。だから、元気が出ればいいな、という思いで始まった。タイトルもそこからきている。最初の数回はたけしさんがスタジオでコントをやりましたが、正直、あまり面白くなくて。そこでスタジオから外に飛び出して、ロケをした。最初は、さびれた商店街を盛り上げようという企画だったと記憶しています」
一般人にスポットライトを当てた笑いのスタイルは当時目新しく、視聴者参加型のドキュメントバラエティの元祖といわれる。『高校生ダンス甲子園』、『ジャニーズ予備校』など数々の名物企画を生み出していった。さらに、原宿の竹下通りと京都の嵐山、千葉の浦安にタレントショップ『元気が出るハウス』をオープン。ショップにはファンが押し寄せ、タレントショップの先駆けとなった。
ビートたけしが求める笑いのレベルはとてつもなく高く、つまらないと言われ、徹夜で企画を練り直すこともあったという。
「たけしさんはお笑いを誰よりも分かっている人だから。更に上をいく企画を考えないと僕の立場はない。毎週、演出家と出演者の勝負が繰り広げられていた。今思えば、バラエティが街に出ていくという視点が、時代にマッチしたんじゃないかな。今みたいなコンプライアンスはなかったから、やりたいことをやらせてもらえた。いい時代だったと思いますよ」(テリー氏)
●取材・文/戸田梨恵、小野雅彦
※週刊ポスト2019年8月16・23日号