放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、高田氏がミュージカルに初めて触れたときのこと、36年前にニューヨークでビートたけしと一緒に『キャッツ』を観た思い出について語る。
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普通に話していたのに、急に歌い出し踊り出す不思議な“ミュージカル”。最初に見たのはいつだったか。前にも少し書いたが“ワシントンハイツ”に住んでいたジャニー喜多川が、渋谷の少年達を集めて作った野球チームが“ジャニーズ”。我が“少年シャークス”は2戦して2敗。次の試合の日は雨。その時ジャニーが子供達を連れて見に行った映画が、公開されたばかりの『ウエスト・サイド物語』。
「これだ」とひらめいたジャニー。その時、仲間と森繁久彌、三木のり平の『社長漫遊記』を見に行っちゃったのが私。これがジャニーズと私の人生の分岐点。一週間後私もあわててジョージ・チャキリスを見に行きました。これがほとんどの日本人のミュージカル初体験。
その後東宝ミュージカルで『マイ・フェア・レディ』が大変な話題となった。主役の江利チエミの父親ドゥーリトル役で『運がよけりゃ』を歌った八波むと志。私が最初に愛した喜劇人でコントの〈脱線トリオ〉から抜擢され喝采を浴び、さぁこれからという時、37歳という若さで交通事故死してしまった。私にとって〈笑い〉のジェームズ・ディーンでした。
その後ミュージカルとはほとんど無縁の私でしたが、昭和58年、ビートたけしと仕事半分、遊び半分で行ったニューヨークで公演を見た『キャッツ』。まだ日本に上陸するずっと前です。内容も何も分からず劇場へ入ったふたり、場内が薄暗くなり、いきなり座っている足元から「ワ~ッ」と猫がとび出してきた。人一倍気が小さいたけし、「うるせーな、この猫ォー!!」と怒ってました。日本で一番最初に『キャッツ』を見たのはたけしと私ではないでしょうか。