宮内庁は8月9日夕刻、美智子さまの左胸に乳がんが見つかったと発表した。美智子さまが、がん宣告を受けられたのは、その日の朝だった。
10年以上前から乳腺の定期検診を受けられていた美智子さま。今年7月12日、乳腺の超音波(エコー)検査で胸に腫瘤が見つかった後、精密検査が行われ、乳がんが見つかった。ステージ(進行度)は未公表だが、比較的早期の発見で、転移の可能性は低いとみられる。
手術は8月下旬の長野県軽井沢町や群馬県草津町での静養で体力の回復を図った後に、臨まれることになる。
一方、2002年、上皇陛下に前立腺がんが見つかった。陛下の傍らで治療を支えられていたのは美智子さまだった。
「医師が陛下に病状を伝える時、美智子さまはいつもお隣で聞いておられた。病気について熱心に勉強され、『手術後に失禁が起こる可能性はあるのですか』など、具体的なことを聞かれることもありました」(皇室関係者)
2012年の陛下の心臓バイパス手術の時も支えられた。
「美智子さまは毎日病室に通われ、陛下の好きな音楽をかけたり、皇居で採れたふきのとうをお土産にされたりと、献身的に看病されていました」(宮内庁関係者)
がん闘病の際、陛下は病状や手術について「すべてを包み隠さず国民に伝えること」を強く主張されたという。今回、美智子さまの乳がんが速やかに公表されたのにも、同じ理由があるのだろう。皇室ジャーナリストの山下晋司さんはこう分析する。
「上皇上皇后両陛下は“自分の体は自分だけのものではない”とお考えだと思います。病状などを隠して入院されると、憶測を呼び国民が余計に心配します。それを避けるためにもきちんと公表すべきとのお考えでしょう」
十二指腸がんで崩御された昭和天皇ががんを患っていたことを国民が知ったのは、時代が平成となってからだ。一方で、1963年、美智子さまが第2子を流産されたことは、宮内庁を通して公表された。どれだけ勇気のいることだったか。長女の黒田清子さんは、上皇陛下の前立腺摘出手術の後の誕生日会見でこう語った。
「病状をそのままに伝えるという陛下のお考えは、この度が初めてではなく、皇太子さまご出産の3年後、皇后さまが胞状奇胎によるご流産をなさった時から一貫してこられたことでした。(略)どれだけお辛いことだったろうと想像されます。それでもできるだけ国民に病状を隠さないという、陛下のお考えに添って発表が行われています」
それから16年。今回も、包み隠そうとはしなかった。
※女性セブン2019年9月5日号