六本木の伝説のゲイバー「吉野」で38年間ママを務めた吉野寿雄氏(88)。高倉健らと同じく吉野ママと特別な関係を築いたのが、8月3日に没後10年を迎えた女優・大原麗子さんだ。吉野ママが明かす。
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〈渡瀬恒彦に続く森進一との2度目の結婚も、4年目で破局を迎えた。大原は離婚会見で、その理由を「家庭に男が2人いた」と語り、話題となった。吉野ママは森とも親しかったことから、2人の離別を間近で見ていた〉
1984年に森君が1か月のアメリカツアー公演を行なって、なぜか私も同行したの。でもその隙に、ビッチ(※注)は前々から行きたがっていたヨーロッパに、内緒で出かけてしまったの。【※注/吉野氏によれば大原さんは背が小さかったため“チビ”を逆にした“ビッチ”という愛称で呼ばれていたという】
そうしたらその間に、2人で飼っていた柴犬が逃げてしまった。これがきっかけで、内緒でヨーロッパに出かけていたことがバレたこともあって、森君が帰国してからすぐに離婚の話になったとビッチは言っていたわ。森君からしたら、色々と積もり積もって、愛想が尽きちゃったんでしょうね。
離婚してからはしばらくホテルオークラに逃げ込んでいて、一度、「ママ、荷物を取りに行くから手伝って」って家から段ボールに衣装とか靴とか詰め込んで運んだ。でもそれからしばらく音信不通になってね。もともと彼女は店に来るときは毎日のように通うんだけど、パタンと切れちゃうと音信不通ってことがあったから。
〈それから交流は復活したが、晩年は会うこともなくなっていたという〉
亡くなる少し前に、「具合が悪い」って電話がかかってきたことはあったけどね。お葬式で遺影を見たときも泣かなかったわ。「来るべきものが来た」って思っただけ。だって、ビッチはとにかくあっけらかんとした子だったからね。
●取材・文/宇都宮直子
※週刊ポスト2019年9月6日号