音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、草食系キャラで面白さを浮き彫りにした、柳家わさびの『明烏』についてお届けする。
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商家の旦那が堅物の息子に遊びを覚えさせようと、遊び好きの二人組に吉原へ連れて行ってもらう『明烏』。八代目桂文楽の十八番で、今でも高座に掛かることは多い。
文楽の時代にはまだ吉原の「粋な遊び」のイメージがあり、「女郎なんて汚らわしい!」と泣き喚いていた若旦那が一夜明けたら花魁の色香の虜、という面白さに観客が共感できた。古今亭志ん朝は、もはや存在しない「吉原の粋」を芸の力で観客に「共同幻想」として提示したが、それは志ん朝だからできたこと。現代ではこうした「吉原礼賛」を観客と共有するのは不可能だ。第一、演者が「吉原の粋」を知らない。
現代において『明烏』を面白く演じるには、「駄々っ子の坊ちゃんに手を焼く二人組」という構図の中で、時次郎という若旦那を思いっきり「ヘンなヤツ」として描く、という手法がある。時次郎が泣き喚く可笑しさがメインのドタバタ劇とする演り方だ。これは、センスのいい噺家がやれば最高に面白くなるが、ヘタな噺家がそれをやると、噺そのものが壊れてしまう恐れがある。
そんな『明烏』を、奇を衒わず正攻法で演じて大いに感心させてくれた若手がいる。この9月から新真打の柳家わさびだ。