9月4日、東京ドームで行われた「お別れの会」には、ジャニー喜多川さん(享年87)を見送るため、多くの人が会場に詰めかけた。
日本とアメリカ、2つの祖国を持つジャニーさん。その生い立ちからか、独特の審美眼で、日本のエンターテインメントの歴史を塗り替えた「日本一有名な芸能事務所の社長」である。
誰もがその名を知る一方で多くの謎に包まれ、どんな見た目かすら知らない人も多いだろう。多くの有名タレントやスタッフを抱え、テレビ局などエンターテインメント業界に大きな影響力を持つことから、畏れ多い雰囲気を想像する人も少なくない。だが、実際にジャニーさんと接した人の印象は大きく異なる。
「いつもありがとうございます。すぐに(タレントが)来ますので」
初対面のジャニーさんにこう話しかけられたのは、あるメディア関係者だ。
「2年ほど前、シアタークリエで開催された舞台『ジャニーズ銀座』の取材で楽屋を訪れた際、キャップにサングラス姿の初老の男性がポツンと座っていました。関係者から『あちらがジャニーさんです』と言われて慌ててご挨拶に伺うと、椅子から立ち上がろうとされたので恐縮しました。初対面にもかかわらず、ジャニーさんからは、丁寧な言葉で取材のお礼を伝えられました」
そうした姿勢は昔から変わっていない。長年、ジャニーさんをよく知る放送作家の山田美保子さんが話す。
「もうずっと前のことですが、レッスンの取材に行った時、スタジオの椅子を片付けているかたがいました。掃除のおじさんのようでしたが、実はそのかたがジャニーさんでした。私も含め、周りの人が畏れ入って『私たちがやります』と言っても、やめようとしませんでした。今では現場の“あるある”で、有名なシーンです」
半世紀を超える親交があったコメディアンの萩本欽一(78才)は、ジャニーさんの思い出をこう振り返った。
《ジャニーさんは、体が小さいし、垂れ目で、しゃべり方が優しくて、とてもあれだけのことをやった人には見えません。上から目線の言葉もゼロでした。自分の身の丈以上の言葉を口にしない。(中略)立ち居振る舞いも、すすすす、といつも目立たぬよう素早く歩き回っている感じで、それをお付きの人が追いかけるなんてこともなかった》(2019年8月25日付『日本経済新聞』電子版)
生涯写真を撮られることを嫌ったジャニーさんだが、2012年に「チャート1位を獲得した歌手を最も多くプロデュースした人物」で3度目のギネス世界記録に選ばれた時に、写真を公開した。その貴重な一枚が、キャップにサングラス姿の写真だ。ジャニーさんと親しい業界関係者が話す。
「ジャニーさんは、『自分は作る側の人間。裏方は裏方に徹するべき』と常々話していました。この姿勢は、ジャニーイズムの大きな柱となっていました」
※女性セブン2019年9月19日号