混迷する日韓関係だが、韓国外交を担ってきた日本の政治家は何をしてきたのか。ここでは宮沢喜一氏から中川一郎氏まで、政治家ごとに主な業績をまとめた。(敬称略)
宮沢喜一:「訪韓前に、慰安所に日本軍が関わっていたとする朝日新聞の記事(後に取り消し)が出て、訪韓すると盧泰愚大統領に8度謝罪した」(屋山太郎・政治評論家)
田中龍夫:「日韓協力委員会のメンバーだった」(筆坂秀世・元共産党参議院議員)
椎名悦三郎:「1965年に訪韓し、日本の過去を『深く反省する』と声明を述べ、日韓基本条約の仮調印にこぎつけた」(菅沼光弘・元公安調査庁第二部長)
安倍晋太郎:「岸信介氏の係累として、韓国ロビーの一員だった。中曽根首相の電撃訪韓(1983年)に同行。翌年も全斗煥大統領を表敬訪問し、訪日を歓迎する意向を伝えた」(菅沼光弘)
竹下登:「日韓議連の会長を務めた。橋本内閣、小渕内閣でも影響力を保ち、サッカーW杯の日韓共催も竹下氏が仕掛けたとされている」(倉山満・歴史評論家)
宇野宗佑:「河野一郎の下で日韓を行き来し、韓国の丁一権首相との間で『解決せざるをもって解決したと見なす』という密約文書を渡したとされる」(姜誠・ジャーナリスト)
小渕恵三:「1998年に金大中大統領と『日韓パートナーシップ』を結んだことで両国の文化が解放され、韓流ブームの流れを作った」(前川惠司・元朝日新聞ソウル特派員)
中川一郎:「日韓基本条約の交渉を大野伴睦氏や河野一郎氏が担ったが、その下で韓国側と根回しの役回りを大野氏の秘書として担った」(菅沼光弘)
※週刊ポスト2019年9月20・27日号