餃子や中華そばなど、昔の味を再現するキャンペーン「創業祭(65周年)」を行い、賑わいを見せているラーメンチェーン店の「幸楽苑」。いまでは全国500店舗を超える大型チェーンに成長したが、不祥事などもあり、一時は存続が危ぶまれるほどの業績低迷に見舞われた。その幸楽苑が復活できたのはなぜか──。経済ジャーナリストの有森隆氏がレポートする。
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全国にラーメンチェーン「幸楽苑」を展開する幸楽苑ホールディングスの業績が回復傾向にある。
2019年4~8月の国内の直営既存店の売上高は前年同期に比べて3.2%増、客数は3.1%増、客単価は0.1%増だった。業績が回復したといっても、ようやく水面上に顔を出したところだが、1年前の2018年4~9月は、それぞれ3.6%減、2.4%減、1.3%減と軒並み前年割れでマイナスに沈んでいた数字を見れば、立て直しているといっていいだろう。
この夏も、流行する「台湾野菜まぜめん」を販売したり、期間限定で20年前の味を再現した「餃子クラシック」や「中華そばクラシック」を提供する創業キャンペーンを行ったりするなど、なにかと話題を振りまいている。
そもそも幸楽苑は1954年、新井田司氏が福島県会津若松市に「味よし食堂」を開店したのが始まり。その後、息子の新井田傳(つたえ)氏が、東京で修業をした後、帰郷。1966年、味よし食堂の調理場に立った。修業先の「幸楽飯店」から2文字もらい店名を「幸楽苑」として1970年、株式会社に改組。そして、1978年、父の後を継いで社長になった。
傳氏が社長になって以降の成長は目覚ましかった。1997年、ジャスダックに店頭登録。2002年に東証2部、翌2003年には東証1部とトントン拍子で昇格。2015年7月、持ち株会社体制に移行、幸楽苑ホールディングスを設立した。
傳氏は「国内最大1000店のラーメンチェーン網」を築くべく、北は北海道から西は中国地方まで、主に郊外やショッピングセンターのフードコートなどを中心に店舗を急速に拡大してきた。そのほとんどが直営方式でFC店はわずかだ。