音楽誌『BURRN!』編集長の広瀬和生氏は、1970年代からの落語ファンで、ほぼ毎日ナマの高座に接している。広瀬氏の週刊ポスト連載「落語の目利き」より、柳家小三治と入船亭扇橋の“絆”についてお届けする。
* * *
8月12日、よみうりホールの独演会で、柳家小三治が入船亭扇橋の思い出をたっぷりと語った。
開口一番の柳家三三が『五目講釈』を演じた後、高座に上がった小三治は「先日、錦帯橋に行きまして」と話し始めた。山口県の有名な木造アーチ橋だ。小三治は「錦帯橋」と聞くと扇橋を思い出すという。
4年前に亡くなった扇橋とは親友だったと言われるが、親友って何だろう……そんな話から、扇橋が宗匠だった「やなぎ句会」の思い出、扇橋とアメリカに行った時の爆笑エピソードへ。マクラが50分を超えたところで袖にいたマネージャーから高座の小三治に声が掛かる。この会場は終演時間が厳格だという注意喚起だ。「だからって、ここでやめちまうわけにも」とさらに15分。最後に錦帯橋に話題が戻ってオチが付き、『千早ふる』へ(なぜ「錦帯橋というと扇橋」なのかは扇橋が「女性にモテた」という事実に関連するのだが、具体的には書かずにおこう)。
13時半開演で、『千早ふる』を終えたとき既に15時半。休憩を挟んで再び小三治が高座へ上がり、あるとき寄席で『千早ふる』を演って降りてきたら、扇橋が泣きながら「落語って哀しいね」と言った、と明かす。小三治が度々言及する逸話だ。
「今日は、どうしても扇橋の話をしたかった。もしかしたらあいつは親友だったのかもしれませんね」
そう言って小三治は『長短』に入っていった。