ラグビー日本代表がワールドカップ第2戦で演じた4年ぶりのジャイアント・キリング。敗れたアイルランド代表は、今後、イギリスのブレグジット(EU離脱問題)の趨勢に左右される可能性があるという。どういうことか。歴史作家の島崎晋氏が解説する。
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ラグビーのワールドカップで世界ランク10位の日本が2位のアイルランドに勝利。過去の対戦成績が日本の全敗であったこともあり、このニュースは日本国内どころか、ラグビーが普及している世界中の国々で大きな反響を呼び起こした。
だが、筆者は試合前の様子に少なからぬ違和感を覚えた。国歌斉唱が行なわれているはずの場面で、アイルランド代表の表情がぎこちなく、歌っていない選手のほうが多かったように見えたのだ。
実はこれには理由があった。クリケットと同じく旧英連邦で盛んなラグビーのアイルランド代表はサッカーのそれとは違い、アイルランド共和国と英国領北アイルランドの選抜メンバーからなる混成チームで、流されていた歌曲はアイルランドの国歌でも英国のそれでもなく、南北合同代表チーム専用の歌曲だったのだ。
長らく英国の植民地下に置かれていたアイルランドが完全独立を果たしたのは1949年のこと。それより早く1922年には自治領に昇格していたが、プロテスタントが多数を占める北東部6県は英国領北アイルランドとして留め置かれ、1949年の共和国成立以降もその状況に変わりなかった。
英国本土である大ブリテン島からアイルランドへの入植が本格化したのは清教徒革命を指導したクロムウェルが護国卿(在任1653~1658年)として全権を握っていた時期のことで、プロテスタントがアルスター地方に集中したのは単純に海の玄関口であるベルファスト港がそこにあったことに拠る。
大ブリテン島では宗教改革の影響のもと、イングランドでは英国国教会、スコットランドでは改革派の流れを汲む長老派が多数を占めていたのに対し、アイルランド人の間ではカトリックの優位が揺らぐことなく、英国に併合されてからも改宗する者はほとんどいなかった。