【書評】室井滋/『ヤットコスットコ女旅』/小学館/1200円+税
【評者】山内マリコ/作家。1980年生まれ。富山県出身。2008年に「十六歳はセックスの齢」でR-18文学賞・読者賞を受賞。2012年、同作を含む『ここは退屈迎えに来て』でデビュー。『アズミ・ハルコは行方不明』『さみしくなったら名前を呼んで』『かわいい結婚』『あたしたちよくやってる』など著作多数。
旅は多くの人にとって非日常のもの。ところが、ロケ撮影や公演で頻繁に地方を回る忙しい女優にとっては、旅は日々の暮らしの延長線上にある。新幹線の車内で、空港で、はたまた旅先のホテルで。一歩外に出ればハプニングはつきもの。時には不快な目に遭い、時には人とのほっこりする交流もある。大仰なみやげ話ではなく、日々のちょっとしたこぼれ話が心愉しいエッセイ集だ。
女優の日常──。どんなものだろうと想像するだけでゴージャスな気分になるが、ロケで連泊するとなると、予算の都合上、高級ホテルとはいかない。指定された宿はひなびていたり、薄暗かったりで、不吉な気配を感じることもしばしばとか。旅慣れた女優さんはマイ電球で部屋を明るくしたり、マイカーテンで鏡を覆うなど工夫をこらすそうで、室井さんも邪気除けの盛り塩は必須アイテムという。華やかな職業の、思いもよらぬ苦労がうかがえる。
それにしても本当に、日本全国のさまざまな地域を訪れている。メジャーな観光地ではなく、福島の磐梯熱海温泉、奈良の超パワースポット天河大辨財天社、石川県の宇宙科学博物館コスモアイル羽咋といった、ややマイナーだがそそられる場所のセレクトが絶妙だ。愛猫家ゆえ長期旅行は難しく、「出張の合間に、必死に旅情にひたっているカンジだ」と言うが、日々の隙間を縫って、未知の場所へ足をのばそうという好奇心とエネルギーが伊達じゃない。
実は筆者、室井さんとは同郷のご縁で、ラジオで対談させていただいたことがある。室井さんと同じく毎月のように富山に出張するものの、仕事が終われば一目散に東京へとんぼ返りすると言うと、「えぇ~もったいない!」と驚いていらっしゃった。室井さんは何日か余分に滞在して、親戚や友達に会ったり、地場ものの野菜をたんまり買って帰られるとのこと。それを聞いて、自分のせかせかした過ごし方を反省したものだ。同じ場所へ行っても、アクティブに楽しむ姿勢によって、見えているものがまるで違う。本書にちりばめられた豊富なネタはその賜物なのだ。
エッセイの名手はみな日常を面白がる天才だけど、室井さんも然り。二日酔いでのぞむ人間ドックを院内旅行と割り切り、炭酸耳エステの看板に「にわか旅行者のつもりで」飛び込む。なんでもやってみる。そして周りの人を愉快に巻き込んでいく。
長年お取り寄せしている牛乳を作る、酪農一家をたずねた室井さん。初対面なのに、20年ぶりの再会のように思わず抱き合う。さらに故郷富山の星、朝乃山の初優勝では、県民と喜びを分かち合う。それにしても富山県民、室井さんを完全に身内と思って、実に遠慮なく気軽に話しかけてるな。そして室井さんも一緒になって盛り上がってる!
読み終わるころには室井さんのパワーが伝播して、日常を楽しむ感性やスキルが磨かれた気がしてくる。そして自分も人生という旅を、もっともっと満喫したいと心から思えてくるのだった。
※女性セブン2019年10月17日号