山口組分裂抗争のキーマンとされる六代目山口組・高山清司若頭が、10月18日に収監中の府中刑務所から出所すると言われている。なぜ高山若頭がキーマンとされるのか。遡ると10年前に起きた、「ヤクザと芸能界」の事件に行き当たるという。暴力団取材に精通するジャーナリストの溝口敦氏と鈴木智彦氏が解説する。
鈴木:2008年(平成20年)10月に、山口組系後藤組の後藤忠政組長が自身の誕生祝いでゴルフコンペを開き、それに参加した歌手がNHK紅白歌合戦に出演できなくなったという事件がありました。
溝口:これは『週刊新潮』がゴルフコンペに大物演歌歌手らが参加していたことを報じて、NHKが「紅白には出さない」と決めたわけですが、重要なのは、ヤクザ側でもこれが問題になったこと。山口組の執行部が問題視して、後藤を除籍した。それで、後藤を応援するためにと山口組の直参13人が連判状を出して執行部に抗議したとかいう内容の怪文書が出回り、そこに名を連ねていた直参はみな処分されました。
鈴木:クーデター未遂事件ですね。もともとは芸能人との密接交際の問題だったのが、暴力団組織内の派閥争いに発展した。
溝口:これはゴルフコンペと紅白という問題が直接的な引き金になったわけではなく、後藤がこういう個人的な誕生祝いのゴルフコンペに出て、その後の宴席にも出ながら、病気を理由に総会を欠席した。これを問われた。
鈴木:「ズル休みして遊びに行ってたじゃないか」という理屈ですね。
溝口:もともとは後藤自身が、山口組のなかで浮いた存在になっていたというのがある。
鈴木:浮いていたけど、ズル休みを通すだけの実力もあった。だから、コンペに参加した歌手が紅白に出られなくなって、ちょっとした社会問題になったのを利用して排除したんですが、そこから逆にクーデターまがいの動きが起きた。
溝口:当時、後藤忠政は六代目山口組体制に不満を持つ勢力の中心にいて、特にナンバー2である若頭の高山清司とは折り合いが悪かった。そういう山口組の政治が背景にあったと思う。
鈴木:このときにはすでに、弘道会の支配がキツイ、辛いと言われていたんですよね。後に、神戸山口組が分裂しますが、同じような不満がすでに溜まっていた。だから、直参13人で「割ってやろう」という話になったんだと思いますが、割り切れなかった。団結して出て行って、神戸山口組みたいなのを作る可能性もありましたが、できなかった。
溝口:結局、後藤忠政は引退。他のクーデター未遂に関わった直参は絶縁、破門、除籍などの処分を受けた。太田興業組長の太田守正はこのとき除籍になったが、後に神戸山口組に参加している。
※溝口敦/鈴木智彦・著『教養としてのヤクザ』(小学館)より一部抜粋