今季限りでヤクルトを退団した石井琢朗コーチが、来季は巨人の1軍コーチとして指導に当たると各スポーツ紙で報じられている。
石井琢朗は、1998年に横浜を38年ぶりの優勝に導いたリードオフマンであり、球団史上最多安打数を誇るベイスターズの顔だった。しかし、38歳の2008年に不振に陥ると、球団から引退勧告を受ける。石井はそれを拒否して広島へ移籍。4年間、現役を続けて2012年限りで引退した。その後、広島でコーチに就任し、2016、2017年の優勝に大きく貢献した。昨季からはヤクルトの打撃コーチに。今季は高卒2年目の村上宗隆が36本塁打、96打点を挙げるなど、若手育成の手腕が高く評価されている。その敏腕コーチを巨人が獲得することとなった。
石井はコーチとして、セ・リーグで3球団を渡り歩くことになる。今年、ヤクルト退団が報じられると、横浜ファンから復帰を望む声も挙がっていたが、古巣へ戻ることはなかった。野球担当記者が話す。
「遺恨が残るような退団の経緯でしたからね。その後の他球団での貢献ぶりから考えると、石井が指導者として在籍していれば、横浜は今より強くなっていたかもしれません。チームの顔がフロントと折り合わずに移籍して、そのまま移籍先で指導者になり、元の球団に戻ってこない例は多々あります」(以下同)
1977年、南海ホークスの野村克也選手兼任監督は解雇を言い渡されると、オフにロッテに移籍。最終的には西武で引退した。9年間に及ぶ解説者生活を経て、1990年にヤクルトの監督に就任。4度のリーグ優勝と3度の日本一に輝き、長きにわたって低迷していたチームを立て直した。その後も阪神、楽天の監督を務めたが、古巣であるホークスにカムバックすることはなかった。