馬は来ないが「人」は来る──昨年行なわれた25の平地GIレースのうち、15勝は外国人騎手によるものだった。いまや日本の重賞レースに欠かせない存在となっている。競馬歴40年のライター・東田和美氏が、外国人騎手による日本競馬の国際化についてつづる。
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現在8月に札幌競馬場で行なわれているワールドオールスタージョッキーズ(WASJ)の前身は、昭和62(1987)年にスタート。近走で低迷していた馬が、外国人騎手の手綱によってガラリと変身することも多かった。
平成6年、騎手短期免許制度がスタートする。いくつかの条件を満たせば、1年のうち3か月間に限って日本の競馬に騎乗できるというものだ。この制度を早い時期に利用したのが英国のムンロ騎手。同年ホッカイセレスで府中牝馬Sを勝ちGIにも騎乗した。また平成7年から毎年のように来日した南アフリカ出身のロバーツ騎手は10(1998)年に外国人騎手として初めて日本馬でGI(朝日杯3歳S=当時)を勝った。とはいえ、当初はGI、それもクラシックともなれば、外国人騎手を起用する陣営は稀だったし、来日する騎手もけっして多くはなかった。
「助っ人外国人」の力を見せつけたのはフランス人のペリエ騎手。やはり平成7(1995)年から毎年のように来日。14(2002)年からは3年連続して有馬記念を勝つなど、GIを12勝もした。とくに藤沢和雄調教師の信頼は厚く、シンボリクリスエス、ゼンノロブロイなどを見事に覚醒させた。
そして平成15(2003)年にはM・デムーロ騎手が皐月賞とダービーの2冠に輝き、17(2005)年の有馬記念ではC・ルメールが、ディープインパクトに土を付ける。この2人はその後も何度か短期免許で来日、27(2015)年以降はJRAの所属となり、その後の活躍ぶりはご存じの通り。いま日本の競馬は彼らを中心にして回っているといっていい。
そのほかオーストラリアのウィリアムズ騎手、英国のムーア騎手などが、毎年春秋のGIレースに照準を定めて来日。今春は初来日のレーン騎手がGI2勝(他に大井の帝王賞)を含む37勝、勝率3割という驚異的な数字を残した。