日本の高度経済成長を牽引した「昭和の名経営者」と言えば、松下幸之助、本田宗一郎、小倉昌男などが思い浮かぶ。一方、彼らと肩を並べるほどの成功を収めながら、毀誉褒貶相半ばする人たちがいる。中内功氏もその1人だ。ノンフィクション作家・佐野眞一氏が語る。
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セブン&アイの大リストラが発表されたが、スーパーに限らずコンビニエンスストアにせよ、100円ショップにせよ、それはすべてダイエーの中内功が作った仕組みから生まれたものだ。我々はずっと中内が作った世界、それは豊かさを追求した戦後的な世界と言い換えてもいいが、その中で生きてきたことになる。
一代でダイエーを日本最大の流通帝国にのし上げた中内が、晩年、「戦後最大の失敗経営者」の烙印を押されたまま彼岸に渡ってからもうすぐ2015年、その世界は早晩、限界を迎えるはずだったのである。
中内は「戦後、神戸から出て大きくなったのは山口組とダイエーだけや」という名台詞を残した。まさに戦後という時空間が、この異様な経営者を生んだのだろう。中内ダイエーの原点は、フィリピン戦線での飢餓体験にある。人肉食すら噂された戦場で、中内は家族で食ったすき焼きの匂いを思い出し、「もう一度、神戸牛のうまいすき焼きを腹一杯食って死にたい」とそればかり考えていた。
腹一杯になるように安くたくさん──品揃えと価格破壊への執着心はここから始まっている。そして「いくらで売ろうと勝手」という作り手と売り手の力関係を逆転してしまった発想が、流通革命を生んだ。
私は中内がダイエーの店舗を店内巡回するのに同行したことがある。