秋と言えば学園祭シーズン。かつては毎年のように「学園祭の女王」が誕生し、何人もの女性タレントがスターへの階段を駆け上ったが、学園祭とアイドルを結びつけたのは、意外にも日本の叡智が集う東京大学だった。
大学闘争真っ盛りの1970年代初頭までは、東大の学園祭が近づくとキャンパス内には政治的な立て看板が乱立した。しかし闘争が落ち着いた1970年代半ば、東大で「山口百恵を守る会」が結成される。これを契機に、東大では空前のアイドルブームが巻き起こり、五月祭にもタレントが登場するようになる。その“立役者”が、1979年に東京大学理科III類に入学した精神科医の和田秀樹氏だ。
「僕は自分の映画の主演となるアイドルを探したくて、2年生の時にアイドルプロデュース研究会(通称:アイプロ研)を作ったんです。そしていろんな雑誌に学園祭で行なう『東大生が選ぶアイドルコンテスト』の記事を出したらすごい反響でね。1回目は1000人、2回目は1500人もの女の子が集まった。第2回の優勝者が武田久美子です。でも彼女の売り出し方を考えていた矢先に近藤真彦主演映画『ハイティーン・ブギ』のヒロインに抜擢されて全部パーになっちゃいました(笑い)」
メディア評論家・宝泉薫氏もこう話す。
「武田久美子を発掘した実績のおかげで、その後、多くのタレントがゲストで呼ばれるようになり、『東大の学園祭=アイドルの登竜門』というイメージが定着した。Every Little Thingで大ヒットした持田香織をアイドル時代に呼んだり、近年でも現役東大生が所属していた地下アイドルの仮面女子を出演させ、ブレイクにつなげました。先見の明があったのでしょう」
学問への貢献はもちろんのこと、年に一度のお祭りでも東大は大きな“功績”を残していた。
取材・文/河合桃子 写真/ロケットパンチ
※週刊ポスト2019年11月8・15日号